演劇ユニットG.com

グラン・トリノ

友田です。

先日クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を見に行きましてね。

これっていくらでも論じようがある映画だと思ったんですが、一つ思ったのは、イーストウッドが自分を「可愛く」撮っていることでした。引退したフォードの工員なんですが、怒りっぽくて頑固でね。で、だんだん機嫌が悪くなると「ふーっ」なんて鼻から息吹いちゃって。可愛いんですよ。

 

ちょっと意外に思った。この人は、自分をこういう撮り方したしたことあったっけ。まあ、実はあんまり見てないので分からないんですが、以前、例えば「ミリオンダラー・ベビー」とかとは全然違いますよね。要するに年取ったってことなんだけど、「老い」を「可愛さ」として表現するのは、年寄りの最終兵器というか、何か捨てないとできないことですよね。「もう怖くはない」ということだからね。怖さって特に男の場合にはセクシーさの一つだったりもするじゃないですか。特にイーストウッドのような男ぶりを売り物にしていた人が自分を可愛く撮るってのは、何か捨てたわけですよね。

 

て思ったら、この人、これでもう俳優として映画に出るのは止めるということらしい。そう思うと衝撃のラストとか、そこに込めた思いとか、なるほどなるほどって感じで。なかなかよく出来た作品だと思いました。

246

いまだかつて滅ばなかった文明というのはないのであって、今のだって必ず滅ぶときはくる。何とも心休まる話ではないか。例えば目の前のこれだが――と246を歩きながら私は思った――もう100年もすれば、アスファルトはめくれ、土ぼこり舞う元の姿に戻っているはず。行き交う車の流れは絶え、たまに太陽光パネルを載せた電気自動車が、せいぜい時速30キロぐらいでやってくるばかり。ウィーンと低い電子音を上げて。

 

視界をふさぐ邪魔ッけな首都高の道路のほとんどは崩落。ただ、橋げたは結構丈夫だ。阪神大震災の後に補強したから。だから、橋げたの周辺だけは100年後にも残っているのだ。雨よけにちょうどよいので、橋げたの根元が商店街になっている。周囲20メートルぐらいに、バラックが立ち並んでいる。細い路地の両側に、木の露台を連ねた小さな店がくちゃくちゃと密集しており、八百屋や魚屋はもちろん、たまには甘味屋があって、お汁粉とか、小さい書店で活版刷りの雑誌とか、何ならプラモデルなど――誰がプラモデルを製造するのかという質問は禁止――売っているわけである。夜になると、橋げたの上に残った道路部分に並べた太陽光パネルで昼の間に発電したわずかな電気で、暗い電灯が点る。その下を人々は長い影を引きずりながら、サンダル履きで行き交うのである。

 

お金は毛沢東の顔の人民元だ。中国に支配されてるわけじゃないが、鎌倉時代と同じで、とりあえず手近で手に入る中国通貨を使ってる。基本は農業で、道路からちょっと離れると見渡す限り田畑。春になると一面の菜の花畑に、大きな太陽が沈むのが見られる。夜も八時にもなると、短い宵の享楽も終わり、みんな家に閉じこもる。夜は長く、人々の生活は静かだ。

 

梅雨の季節、橋げたの端っこから滝のような勢いで水が流れ落ちる。それを下に水槽を置いて受けるのだ。浄化槽を通して飲み水にしている。橋げたの上の道路部分に雨が降る音を通奏低音にして、人々は夢の中に吸い込まれていく。

 

夏、流しの楽隊がやってきて、祭になる。その時ばかりは箪笥の奥から昔の服を引き出してくる。ま、よくわかんないけど、コムデギャルソンとか。ふだんはTシャツだ。祭の日には花火もやる。玉のでかいのは高価だから、ロケット花火が中心だ。灯りがほとんどないから、夜空は漆黒。ロケット花火の光跡が闇の中に溶けていく。ひゅっという音と人々の歓声が止むと、音一つない夜が戻ってくる。

 

秋、夕暮れ時になると、赤とんぼが田畑を行き交う。いなごのように群れて、不吉なほど多い。夜は虫の声。田畑一面に響き渡る。

 

冬は重ね着する。暖かい服はない。革ジャンを着てるとすごく裕福に見える。暖房は薪で、バラック作りの家の中は暖かくない。冬は辛い季節だ。でも、餅を焼いて食べるのが楽しみだ。みかんもある。

 

こうして一年、また一年。単調な繰り返しの中で、昔のことは徐々に忘れられていっている。歴史を記録する人はいない。あと二世代もすれば、自分たちに屋根を提供している橋げたがそもそも何なのかも忘れられそうだ。年寄りは説明を放棄し、若者は記憶を放棄する。橋げたは老朽化している。あと数十年で、倒れるだろう。誰も修理するものはいない。やがて残骸もなくなり、どうしてそこに集落が作られたのかすらわからなくなるだろう。

 

すべては無意識の奥へと、ほどけて溶けていくのだ。遠い日の、果たされなかった約束のように。

マイケル・ジャクソン

友田です。

マイケル・ジャクソンが死にましたね。私が中高生だった八〇年代は洋楽の時代で、アメリカのチャートのカウントダウンが夕方のテレビ番組として成立していた。マイケルはその代表的なスターでした。私はそれほど洋楽にはまっていたとは言えないが、それでも何枚かレコードは持っていた。

 

ともかく非凡な歌手で、今でもファーストフードなどで彼の声変わり前の歌声が流れていますね。「ABC」や「帰ってほしいの」など。まさに天使のような澄んだ声、完璧な音程と歌い回しで、「こんな美しい歌声が現実に存在するならば、世の中も捨てたもんじゃない」といった思いさえ抱かせます。

 

そんな、まるで魔法の杖さながらの才能を持った少年が、やがて大人になり、歌とダンスで世界を沸かせ・・・。しかしやがて自分の城に閉じこもり、少年たちと毎夜の饗宴。あげく顔は白く、醜く崩れていく・・・。一編の寓話のような人生を駆け抜けていったマイケル・ジャクソン。彼をそうさせたものは何だったのか。

 

もともとエキセントリックな人だったと思うけど、一方で、先頭に立つものの辛さを思います。マイケルが世に出た当時、黒人音楽を一般の白人が聞くという習慣はほとんどありませんでした。 いや、もちろん聞いていた人はいたが、インテリとか、自分が音楽をしている人。あとは突っ張った若者とか・・・。要するに普通の白人大衆は聞かなかった。だから、黒人ミュージシャンはどんなに大物でも地方に行くとホテルに泊まれないという現実がありました。ホテルのフロントとかドアマンをしている白人のあんちゃんやオジサンにしてみると「お前が有名ミュージシャン?ざけんなクロンボのくせに。顔洗って出直して来い」。そんな時代。

 

それを塗り替えたのがマイケルだった。マイケルが歌い踊る姿をミュージック・ビデオで見た白人たちは人生で初めて「黒人にもかっこいいやつがいる、黒人音楽ってかっこいいのかも」と思い始める。それまでも、白人ミュージシャンが咀嚼した黒人音楽を「かっこいい」と思って聞いていた白人大衆が、はじめて「黒い顔」も含めて「ありかも」と思った。これは本当に歴史的に初めてのこと。

 

だけど、黒い顔を持って白人大衆の中を先頭切って走っていたマイケルはどうだったのか。そのころ、リッチでハッピーな黒人なんて、あの国にはほとんど一人もいなかったのだ。自分がそうなることができるのか?音楽やダンスにおけるほど、彼には、日常生活における創造性や器用さがなかった。白人のようになる以外に、リッチでハッピーになるモデルを見つけられなかった。欧州の童話をアメリカ式に翻案したディズニーの世界やピーターパンに憧れる。彼の妄想世界に黒人の居場所はない。当時のディズニーの世界の主役は白人か動物。動物になる気がなかったら?答えは明らかじゃないか。

 

こうして彼の鼻やあごは細く、肌は白くなり始める。自分が白人になれるネバーランド(どこにもない国)を目指す彷徨がはじまる。

 

2008年、アメリカの白人大衆は「黒い顔の大統領もあり」という判断を下した。それは、25年前に彼らが「黒い顔のスターもあり」と認めたことの、一つの帰結だ。線は一本につながっている。マイケルなくしてオバマはなかった。大げさでも何でもない。

 

その時、多額の借金を抱え、裁判で名誉も失い、整形のしすぎで崩れる白い顔を鏡で見て、マイケルは何を思ったのだろうか。

 

半年後、彼は永遠に舞台を去った。

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