演劇ユニットG.com

棄権

そう言えば都議選は棄権してしまった。朝ごろ、「ああ、今日は都議選だ」と気づき、「後で行こう」と思ったが、午後、夕方とずるずる延ばし、夕方ごろには布団を敷いて本格的に昼寝。起きたら、ヒヤッとする夜の空気。

 

そのまま長い散歩に出る。アイディアに煮詰まったときによくやる手だ。書かねばならない原稿の次の展開に迷っていた。あるビルの前に人がたむろして、数人の女性が米つきバッタのように頭を下げている。頭とわたしの身体がぶつかりそうで危ない。何なんだこいつら、と建物を見ると、民主党候補の事務所だった。女性たちの方を振り返ると、嬉しさに涙こぼれんばかりの顔、顔。「ありがとうございました」と言ってる。あ、棄権しちゃった、とその時気がついた。

 

三つ子の魂百まで、ジャーナリストとして二十代を過ごしたから、今でも棄権には罪悪感がある。選挙こそ民主主義の基盤。さあみんな、投票に行こう。権利の行使を怠る国民に、明るい明日はない。その割に、結果を見れば、棄権したことは結構多い。

 

勝ち馬に乗るのが嫌いだ。今回も、勝負はとうに見えていた。自分の一票なんか、どうでもいいんじゃないか。そんな気分。実際、結果を見ると世田谷は圧倒的な民主候補の勝利で。ブームの一員になって嬉しいか。でも、いや、しかし・・・。

 

次回は多分行く。8月30日、衆院選。奇しくもG.com公演の千秋楽である。お手伝いでいろいろ忙しいだろう。でも行く。麻生は嫌いだ。それだけでも行ける。選挙なんてそんなもん(友田)

アメリカ式合理主義

友田です。

ベトナム戦争時のアメリカの国防長官であったロバート・マクナマラが死にました。G.comの世界とは何の関係もないような人ですが、次回作「金の卵 1970」はベトナム戦争が時代背景にあるのでちょっとお話を・・・。(もっともマクナマラ氏が国防長官だったのは1968年までなのですが)

 

この人、「アメリカにはこういう人がいるんですよね」という、超パワー・エリートです。ハーバード・ビジネス・スクールで経営分析を学び、大手会計事務所に勤めていましたが、太平洋戦争中に陸軍に加わり、その分析手法を戦略爆撃の立案に応用します。日本の都市を襲ったB-29の大編隊。あれは、ちゃんと費用対効果を計算して綿密に計画が立てられていました。それをやっていたのが彼。戦後はフォードに加わり、経営を建て直して1960年には社長に就任します。その直後、発足したばかりのケネディ政権に乞われ、国防長官に。

 

要するに、超頭いいので、何やらせても出来てしまう。それも実務家で、すごく現実的です。理想に頭を悩ませたりしない。自分が世界を回していると思っていて、実際にいろんなことを仕切っている。ただ、そのドライさは、手段を選ばないことにもつながる。要は、結果を出せればいいのです。

 

例えば核兵器についても、必要なら先制攻撃も辞さないし、攻撃されたら確実に報復できるような体制を作ろうとする。ベトナム戦争については共産側による侵略であると信じ、勝利のために特殊部隊を駆使した様々な秘密作戦にも手を染めました。増派に次ぐ増派。やがてこの合理的人間も、戦争への疑いに心をさいなまれていくことになったようですが、その時は既に何百万人という死者の山が築かれていました。

 

晩年にドキュメンタリー番組に出演、ベトナム戦争に対する反省を率直に述べました。北ベトナム軍を率いていたボー・グエン・ザップ将軍とも会談、恩讐を超えて語り合ったりもしています。その勇気と行動力はさすが。ただ、その語り口は最後まで「やり方を間違えた」というもの。合理的人間の魂百までの感がありました。

アメリカの夢

友田です。

1999年から4年間アメリカにいた。ニューヨーク州のバッファローという、ちょうど100年前が最盛期だった寂れた町だ。そこで何をしていたのかというと、大学院に通い、経済学者になろうと勉強していた。割と本気で。

 

今にして思えば色々無謀な点も多く、例えば生活を支える金銭的な裏づけなんかも不十分だった。そもそも私が学者に向いているのかと思うと、微妙に違っていた気もする。でもそんなこと関係ないのが若さというもの。何ていってもそこはアメリカ、全ての夢が叶う地だ。

 

今では知っている。そんなの嘘だ。叶う夢はほんの一部。でもね、30歳そこそこでアメリカで暮らしてごらん。空は広く青く、道路はどこまで行ってもまっすぐだ。自分の冴えない過去なんて全部なくなって、未来の可能性が全開で微笑んでいる気がする。何でも出来る、何にでもなれる。そう思えた時の幸せな気持ち。今でも忘れられない。

 

その当時、いっしょに勉強していた若い日本人がいた。Kさんというのだが、私より7つぐらい年下で、当時24歳じゃなかったか。彼はその後、カリフォルニアの大学の大学院で勉強を続けた。先日名前を検索してみたら、去年からアメリカ南部の大学の助教授になっていることがわかった。10年間の苦闘を経て、Ph.D.(博士号)を取得、本物の経済学者になったのである。

 

本物の経済学者になるというのがどれほどすごいものか、これはこの道で勉強してみた人でなければなかなか理解できないものだけど、優秀な青年が10年間、朝から晩まで勉強し続けなければ手に入らない称号というものが世の中にはある。尊いことだ。そしてKさんはそれを成し遂げた。なんと立派なこと。

 

Kさんにメールしてみたら、ちょうどタイミングよく、来週日本に一時帰国される予定だという。実はKさんとは、私が日本に帰国せざるを得なくなった失意の中で、感情的な行き違いが生じ、ここ6~7年音信不通の状況であった。しかしそれも時が癒してくれた。昔に戻って思い出話をするのを楽しみにしている。
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