そんな時代もあったんですなあ。
岡田です。
岡田久早雄
なんてね、土偶たち、
岡田久早雄
なんだかんだで稽古に顔を出せずにおり、すいません。
12月にはもう少し、そして1月はほぼちゃんと顔を出せると思います。稽古場日誌も・・・。
その「なんだかんだ」の一つ。
私の作品の初の公演です。
もっとも、公演と言いましても短編オムニバスリーディング。
ヘレンケラーの三重苦のようなマイナーな公演です。
12月7日7時より、乃木坂コレドにて、「箱プロジェクト」なるプロジェクトによる
「体取る タイトル」という公演。
戯曲セミナーの2008年度生の方が「エクササイズの会」なる短編創作を中心とする活動をしていますが、半年ほど前からそこに顔を出しておりましたら、こんなことになりました。
各20分ずつぐらい5作品、うち1作品が私の作品です。
自作を演出もします。
また、他の人の作品にリーディング出演もします。
公の場で自分の作品が形になるのは初めて。
もちろん、演出も、出演も初めて。
リーディングとはいえ、実にわくわくします。
チケットは1500円です。興味のある方は私に連絡ください。
tomo9041@yahoo.co.jp
私見ですが、各作品のレベルはそれなりに高いように感じています。まあ、丸損ということにはならないかなと。某新人戯曲賞の最終候補に残っている人も参加しています。
広島・長崎の二つの市が、共同で2020年五輪招致に乗り出すと発表した。久しぶりにグッと来る話だ。
二年に、一度くらいかな。こっちの精神が異常にハイな時にね。
岡田だよー。
がっかりしたなあ、もう。
ということで、昨日来かなり落ち込んでいる。わけあって詳しいことは書けないが、まあ、ダメだったわけだ。う~ん、3年もかかったのに。自分では決してダメとは思っていなかった。もう少しいけると思ってた。しかし誰しもそう思うものなのだ。一般論。客観と主観のずれ。いや、だが・・・。
そのずれを何とかしなくてはならない。再出発しようと思うが、なかなか気持ちを切り替えられずにいる。
授業を受けていると、日本人の同級生が話しかけてきて、「ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだんですって」という。セスナか何かだろうと答えた。それっきり、気にもしなかった。
授業が終わると昼近い。教授たちが3人、廊下で話しこんでいる。それ自体珍しい光景だった。イギリス人の背の高いリンズレー先生が「タワー・コラプスト」と言っていた。塔が崩壊した。えっ?
(「続き」の記事が、下にずれて見にくくなっています。スクロールしてください)
挫折に次ぐ挫折どした。源氏物語。
原文はもちろん、谷崎訳、与謝野訳、円地訳、瀬戸内訳と、「葵上」あたりまでがやっと。「ああ詰まらん。」でも、何故か気になる『源氏物語』。とうとうウェイリー版で五十四帖。
どうも、岡田です。
公演終了でーす。ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。
岡田です。
個人的な事ですが。剛ちゃんと携わって7作目(脚色・演助含む)。友人の蕎麦屋にもずっと来て貰ってるんですが、初めて手放しで誉められました。
あいつ性格悪いんで、表面的に「面白い」とか言って、陰で腐すんですわ。まあ人間的な人間なんでね。でも今回は誉めてました。って僕の作品ではないんですけど。やっぱりうれしい。
劇作家協会のセミナーで知り合って、G.comに携わって早3年。えがったなあ。それまで孤独に孤独に、一人ぼっちでただただ観劇してたんで、やっぱりこういうのは嬉しいんですわね。とはいえ、多分、これがスタート。やっとそこに至ったと言う事だと思いやす。
そこで、今回の最大の収穫は、
「金の卵 1970」公演が終わった。G.comにとって大きな節目になるであろう公演で、会場もキャストも過去最大規模、テレビ取材が入ったり、盛り上がる要素も多かった。いろんなことがうまく回り始めている。もちろん反省は多々あったと思うが、まずはめでたい。
それにしても打ち上げも終わって日常生活に復帰すると、それが何よりも嬉しい。おそらく関係者全員に何がしかは共通する思いではないかと思う。寂しいような、しかしやはりほっとする。覚めない夢はなく、終わらない舞台はない。もちろんだからこそいいのだという話。
特に自分は演劇人でも何でもないし、規則正しい生活リズムが大切だ。深海魚のように、静かなところに沈潜して何か考えたりしているのが性に合っている。つまりは暗い人間。だからこそ演劇のにぎやかさや人との絆に惹かれるという面もあるが、演劇人とはそもそも別世界の人間なのだという思いも強い。公演で時間を取られたりするのも、数日はお祭気分で楽しいが、終わってみるとどこかで終わるのを待っていたのに気づく。
今回はキャストが19人もおり、いずれも力のある俳優さんで、役者の様々な姿を見せてもらった。老若男女問わず、魅力ある容貌や強いエネルギーを備えているだけでなく、人間的にも深みのある人も多かった。その一方で気難しいのか、てんぱっているのか、話しかけてもろくに返事もしない人がいたり。こちらも人間だから、色々考えさせられた。
それもこれも全部終わった。自分の日常生活にはG.com周辺にいるような刺激的な人はいない。でも、それでこそ自分の生活だ。どちらがどちらよりも優れているという話ではなく、どっちの世界も、どっちの人も好きだ。しばらくは日本語学校で教え、本を読み、原稿を書いて静かに暮らそう。そしてまた、芝居の世界に遊びに来ようと思う。
さいきんグッと来た言葉です。
岡田です。
「あらゆるものを見尽くし、あらゆる試練に耐え、その志を弱くし、その骨を強くするところまで行って、万苦を経て後に思想なきに到ったような人が老子ではあるまいか」島崎藤村『桃の雫』
そりゃ薬はいかんよ。言うまでもないことですが。
しかし、のりピーという人は昔から不幸の影の絶えない人でした。
芸能人にはままあることですが、家族に恵まれなかった。 交通事故で死んだ父親はどうも堅気じゃなかったような記憶がある。
弟もあの調子、カネをたかられたりもしたこともあったのかもしれないし。そういう、家庭に恵まれないしっかり者に限って、亭主もまたろくでもないのがくっ付いてくる。背負えるとなるといくらでも荷物が増えていく。押しつぶされそうな重圧と戦い続けなきゃいけない。
そして、日ごろの憂鬱に関係なく、超ハイテンションが 要求される芸能の仕事。薬の力を借りてでも気分を盛り上げたいという願いは切実だったんだろうなあと。
短気を起こさず、出頭してきたことは何より。生きてさえいれば、またいいこともあると思うのだ。まだまだ若いのだから。
夜になると鮭は、川を出て街にやってくる
フォスター冷凍とかA&Wとかスマイリーレストランと言った場所には近寄らないようにはするが
でも、ライト・アベニューの集合住宅のあたりまではやってくるので
ときどき夜明け前なんかには、彼らがドアノブをまわしたり、ケーブルテレビの線に、どすんとぶつかったりするのが聞こえる
僕らは眠らずに連中を待ち受け、裏の窓をあけっぱなしにして
水のはね音(スプラッシュ)が聞こえると呼んでみたりするのだが
やがてつまらない朝がやってくるのだ。
いきなり詩の引用です。レイモンド・カーヴァー『夜になると鮭は』。
岡田です。
禁酒も二週間目。思ったより禁断症状はないんです。夜更かしも止めて。早起きしてこんな文章も書いてます。
カーヴァーって、村上春樹さんの翻訳で有名だけど、確か、アル中だった人。「やがてつまらない朝がやってくるのだ。」って分かるんですよね。なんか、そうだよなあって感じで。でも、「朝」って必ずやってくる。
当然なんだけど、酒飲みはやっぱ「夜」が好き。空が白んでくると、「なんとなくツマんなあーい。」ってな事も、言えないお年頃なんですねえ。
「針」やりました。初めは背中側、肩、腕、背骨、腰、足で多分50本位、ちょっと「チクッ」って感じで痛くは無いです。そんで、そこに電気流しました。自分とは関係なく、筋肉がひくひくって感じ。そんでお腹のほうも同じ。
内臓が硬いそうですが、緊張は少しずつほぐれてるみたいです。当日は、筋肉が興奮してて、夜中にソワソワ、起きたりしてました。でも、関節とかがスッキリって感じです。
まあ、健やかに回復してくのは、なんとなく気持ちが良いことではあるんですが、やっぱり、めげてるんですなあ。こころのどっかで。
奪われて、諦めて、そんで明らかになっていくのが「人生」だ。なあーんて事を前頭葉の先っぽの方では、偉そうに考えていたつもりが、いざ現実になるとねえ。
酒も飲まず、夜更かしもせず、先週今週は稽古場にも行かず、食うためには働いて。まあ、戯曲なんぞを「書いて」はいるんですけんども。
受け入れるんかなあ? 「人生」 やだな。
「芸術には残酷な法則があって、それは、人々が死んでこそ、また私たち自身がありとあらゆる苦悩をなめつくして死んでこそ、草が生い茂るということだ、忘却の草ではなく、永遠の生命の草、豊潤な作品がうっそうとしげる草が。その草の上に後の世代の人々がやって来て、地中に眠る人たちのことなど気にもせず、陽気に彼らの「草上の食事」を楽しむことだろう」マルセル・プルースト『失われた時を求めて-見出された時』より
ああーあ。やだやだ。
いやあー最近。足が攣る。何となく「整体」の看板が気になる。イヤーな予感はあったんです。みんごと的中、ぎっくり腰でした。
岡田です。
月曜に、とうとうやっちゃいました。「ぎっくり腰」。ああいうもんなんですねえ。ほんと要の腰が立たない。痛いしへにゃへにゃでした。幸い、痛みは一日で取れたんです。でも、やっぱり心配で、「整体」っちゅうもんに行って来ました。初体験。
ベッドに仰向けに寝て。素足を触って整体師さんが、一言。「そうとう悪いですね。足がこんなに冷たい。ほらコリコリなるでしょう。」って左足首を回すと確かに。「ずれてますね。多分、骨盤も歪んでるかな」。
まああ、ここまでは良いとして、左右の肋骨を両手で押さえて、「お酒、飲みます?」 「はい。」 「相当、飲みますか?」 「はい、毎日。」 「肝臓が腫れて、肋骨を圧迫してます。それで腎臓(膵臓? 多分腎臓って言ってた。)も弱って下半身の血流が悪いんで、それが原因ですね。」
えええ、お酒でした。ああああ。十数年来初の禁酒、一週間に突入。
さらに、「腎臓は、夜の11時から深夜2時に活発に働くんで、その間は確実に休んで下さい。」 「つまり寝ていろと言う事ですね。」 「はい、そうです。健康でいたければ、そうして下さい。」 「はーい。」
あああああ、楽しみが次々に禁じられる。
「あと、交感神経と副交感神経の切り替えが上手くいっていないので、体が絶えず緊張状態にあります。」 「はあ?」 「つまり、力が抜けない。休んでいても緊張しているんで、疲労が取れていません。」 そう言えば、ピンク先生の晃子さんに、メソッドでよく言われたもんなあ。「岡ちゃん、力抜いて!」って......。整体師さんに、その事言ったら、「その通りです。」って。
まあ、これは「針」とやらの治療法があるらしい。来週は「針治療」なんで、また報告しまーす。
ああーあ。でもー。酒を絶たれ、夜更かしもだめなんて、人生何が楽しいのか。なああ。まあでも健康じゃあないと、演劇もでけんしね。ここはじっと休息。
......生きて、生きていかなくてはねえ。
G.comとは関係なく戯曲の読書会をやっているのですが、そこに70歳代のもと新劇少女がいらっしゃる。先日、マキノノゾミさんの『東京原子核クラブ』を取り上げ、なかなかに読み応えがあって素晴らしかったけれど、その方がこんなことをおっしゃった。「マキノさんの戦前の生活の描き方には時代感覚のずれを感じる。戦前の生活というのはもっと悲惨で・・・。庶民は上の方針に必死で付いていかないと生きていかれないという時代でした。庶民の生活は真面目で、本当に苦しかった」。戦前と言えば東京・大阪を中心に、ある程度の中産階級が発達し、雑誌文化やジャズクラブや寄席、映画にそれこそ演劇といった文化も花開いており、向田邦子が『あ・うん』や『父の詫び状』で書いたようなサラリーマン家庭もあった。そう思うと、苦しくて真面目で、というのはこの方が感じた、ある一面でしかないのだろうけど、だからこそ身をもって知る人の、胸を突くような真実の言葉であった。「上の方針に付いていかないと生きていかれない」。つまりは生の主体性が奪われている。自分の人生を自分で決められない、その苦しさ、惨めさ。
実は戦後もそれって、そんなに変わらなかった。ある時期までは。たとえば今回の『金の卵 1970』で、染め職人の竜二が「白衣の天使と戦災孤児の染め職人じゃ、釣り合いとれねぇもんなぁ」という台詞があります。意味はわかる、もちろん。でもふと考えてみると「釣り合いとれない」ってどういうことなんだ? 戦前生まれの三浦実夫さんが書いたこの言葉の重みは、今となってはなかなか理解できない。おそらくは幾多の恋が「釣り合いとれない」の一言で抹殺されてきた。身分とか、分相応といったもの。そこには、ぎりぎりの人生を歩む人たちの命がかかっていた。その時代、「食う」ということはそんなに簡単ではなかったから。飢えて死ぬということはよくあることだったから。だから、力ある人にくっついて、屈従して、何が何でも飯を食わなきゃいけなかった。身分秩序を犯してはならなかった。
1960年から70年というのは、それが大きく変わり始めた時期なのだ。生活が豊かになり、選択肢が増え、屈従しなくても食えるようになる。『金の卵 1970』では竜二は看護学生の風子と結ばれるし、同じく職人の鉄男も女医の夏子と結婚している。その時代、いかにささやかであろうと、身分を越えて好きな人を好きだということが、一つの革命だったのだ。
岡田です。
「ゴミ屋さん」と言うのも何ですが、正確に言うと、廃棄物収集運搬業です。例の青い車、清掃車。車種としては「パッカー車」って言います。僕、こんなんですが4tロングのパッカー車に乗ってたんだよ。
ちなみにあれ、4t車って言いながら6t位は入ったりします。何せ一番重いのが、そうそう「水」なんです。ってことは、水っぽい生ゴミが一番重い。運転しててもよろよろしまっせ。
そんでもって、どんなに綺麗にしてても湧くんですなア。例の白くって動くもんが。一時、洗車場が壊れた時があって、そんときはもう。あはは。
巨大な奴も出現。まあ普通はハエの幼虫ですが、あれはアブだと思います。みんなで「女王うじ」とか言ってた。でもねえ、あいつらもスゴイですよ。綺麗にしてても、ほんのちょっとの、そう、車のパッカー部分の隅っことかの、ゴミだか何だか泥みたいになった所をちょこっとホジクルと居るんですね。りっぱりっぱ、生きてございです。
まあ収集運搬なんで捨てる訳です。そんでもってあの頃は、東京湾の中央防波堤にそのまんま埋め立ててました。お台場の海底トンネルを抜けると、ほれ、別世界。広々とした世界に、穴のあいたブットイ鉄パイプがぶつぶつと刺さってます。地上4m位かな。
何か?って。まあ、ガス抜きですな。ゴミが発酵してメタンが生まれます。地下で溜まると引火して爆発するんで、そのガス抜き。
一回だけ、何個もあいた穴から青い炎がでてたかなあ。そうそう、その穴から、何か細長いもんが何本も出てた時があった。なんじゃろなああ?って思って、近づいた。フランスパンが何本も刺さってました。
でもねえ。写真で見たんだけど。舞踏家の土方撰だったと思うんだけど、あの風景の中で全裸で土に埋もれてる写真集があった。「あの土」違うんですがなあ。におうんです。分かる人には分かると思うけど、グリストラップ汚泥(僕たちは、単に「ゲロ」って呼んでた。)の匂い。まあ、なんとも言えない、クササを超えた危険な匂いがね。まして、毎日掘り返すって言うか、ゴミ、土、ゴミ、土の繰り返しだから、草一本、はえとりません。
でも、たぶん「生命」ってそんな中から出てきたんだと思う。だって「カオス」だし。混沌だし。大地と空と危険な空気、なんか根源って感じだよ。
昔は四畳半の片隅に転がっているビー玉しか美しいものがないなんて家もざらにあったに違いなく、それはさぞ鮮烈な美しさだったろう。縁日のちょうちんの明かりの下、水ヨーヨーの赤や青がぐるぐると回る。それで充分に満たされて、その日その夏を過ごしていく安らかさ。
もう17,8年も昔、千葉県の外房の農村に2年駐在して、そこは毎年5月になると蛍が群れを成し、それも8時前後の30分ぐらいがピークで、その後は全く消えてしまう。蛍の群れは、一斉に明滅する。数千匹、数万匹という群れがどのようにしてペースを合わせているのかは、完全には解明されていない。
カメラを構え、蚊に刺されるのも厭わず光を追った。儚きもの、写真を撮り、記事にはしてみても、決して定着できない一瞬。記事もまた蛍の点滅よろしく、どこかへと消えうせて、今では行方もわからない。だからこそ良かった。
アフリカのある地方では、年に一度だけ、大きな峡谷を蛍の光が埋め尽くす。しかしそこは前人未踏の地だ。ふんだんにばらまかれる光を、誰一人、見る者もいない。水を飲みに来たジャッカルやレイヨウの、黒いガラス球みたいな目玉に光が映る。その時、彼らが何を思っているのかはわからない。
そう言えば、小学校のころ、どんなはさみを使っていたか、いまだに覚えているのだった。青いビニールが持ち手のところに巻いてあるやつだ。そのビニールの暗くてちょっと光った色調や、少し黄色がかった金属部分の感じなども覚えている。小学校のころのはさみのことなんかまず思い出さない。少なくとも20年ぶりかそれ以上久しぶりに考えたのに、やはりちゃんと覚えているのだった。
はさみに限ったことではないが、モノを買うというのは結構大変なことだった。こうしたものは、薄暗い文房具屋の隅に、紙のケースに入れて置いてあった。値段もそれなりにして、子どもにしてみれば、おいそれと手が出せない。だからこそ、一度買うとまず、名前を書いたシールなどを貼って、半永久的に付き合うつもりで使ったものである。まあ、そんな「つもり」も、ちゃんと意識していたわけじゃなくて、今から思うと、ということだ。
今、はさみを少なくとも3つ持っている。必要ならもっともっと、いくらでも買える。百円ショップにもあるだろうし、もっと高いのだって、買おうと思えばすぐ買えるのだった。自分が大人になったからというだけじゃないし、百円ショップが出来たからというだけじゃない。人と物の付き合い方の中に、やはり何か本質的に変わったものがある。おそらくは80年代にひっそりと進行した変化。何でもお金で取替えが利くようになった。「何でも」というのはもちろん、人間も含めてだ。
家の片隅に置いてあったモノたちのことを思う。名前が書いてあって、少し薄汚れていたモノたちのことを。(友田)
いまこうして見ていただいている方には申し訳ないけど、文芸部日誌なんか読む必要ないと思いますね。ごみですよ。稽古場日誌をこそ見るべきです。なかなか充実した内容になってきています。
いろいろやることあって稽古場を離れている友田です。だから、今から書くことも暇つぶしの類で、くだらないです。読んでから怒ってもしらないよ。
ノートが好きでして。海外でもノートを買いあさり、ふだんも結構いいの使ってます。それでもいつも新しいのを買いたくてたまらない。今度、ちょっと気合の入った取材をします。それで「ノート、ノート、新しいノート」と、資料の読み込みなどそっちのけで渋谷の伊東屋へ行きました。
今回、取材の対象はなかなかの大物。虚飾なぞ通用しない相手です。ふだんのノートは、面白いけどその分「ちゃらちゃら」感も。なめられちゃいけない。やはり、本格派、質実剛健なノートで、取材相手を「おっ」とのけぞらせたい。
そこで手に取ったのは、「ツバメ中性紙フールス」。灰色の表紙に黒字のブロック体で「NOTEBOOK」と。シンプルこの上ありません。そう、まさにノートってこんなものじゃないか?ノートのイデアのようなその表紙をめくると、見返しにこのノートの紙がいかに素晴らしいものか、るる説明してあります。
いわく「一万年以上永久保存が利く中性紙フールスです」。「無意味だ」と突っ込むことすら無意味だ。
今から一万年前と言えばメソポタミアにインドからシュメール人が移住してきて、世界で始めて農耕が始まった頃。文字なんてものもないし、当時の記録など、どこを探してもありません。それほどの時を超えて私の書くものを残すと豪語するこのノート。励まされるばかりか、かえって自分の存在の小ささを思い知らされるような感じすらします。
そんなわけで、取材ノートは「ツバメ中性紙フールス」で決まりだ!!
そう言えば都議選は棄権してしまった。朝ごろ、「ああ、今日は都議選だ」と気づき、「後で行こう」と思ったが、午後、夕方とずるずる延ばし、夕方ごろには布団を敷いて本格的に昼寝。起きたら、ヒヤッとする夜の空気。
そのまま長い散歩に出る。アイディアに煮詰まったときによくやる手だ。書かねばならない原稿の次の展開に迷っていた。あるビルの前に人がたむろして、数人の女性が米つきバッタのように頭を下げている。頭とわたしの身体がぶつかりそうで危ない。何なんだこいつら、と建物を見ると、民主党候補の事務所だった。女性たちの方を振り返ると、嬉しさに涙こぼれんばかりの顔、顔。「ありがとうございました」と言ってる。あ、棄権しちゃった、とその時気がついた。
三つ子の魂百まで、ジャーナリストとして二十代を過ごしたから、今でも棄権には罪悪感がある。選挙こそ民主主義の基盤。さあみんな、投票に行こう。権利の行使を怠る国民に、明るい明日はない。その割に、結果を見れば、棄権したことは結構多い。
勝ち馬に乗るのが嫌いだ。今回も、勝負はとうに見えていた。自分の一票なんか、どうでもいいんじゃないか。そんな気分。実際、結果を見ると世田谷は圧倒的な民主候補の勝利で。ブームの一員になって嬉しいか。でも、いや、しかし・・・。
次回は多分行く。8月30日、衆院選。奇しくもG.com公演の千秋楽である。お手伝いでいろいろ忙しいだろう。でも行く。麻生は嫌いだ。それだけでも行ける。選挙なんてそんなもん(友田)
岡田です。
作は、18世紀のゴルドーニ。コメディア・デラァルテと呼ばれる、イタリアの仮面劇。1947年に、ストレーレルが再発掘し上演したもの。1997年に演出のストレーレル自身は亡くなってます。
最初に見たのは、1999年の2回目の来日公演だったんで、実は二回目。ちなみに招聘した野村萬斎さんは、30年前の初来日も見ているみたいです。
主演、アルレッキーノ役は、フェルッチョ・ソレーリ。79歳でした。公演後、カーテンコールの前に舞台上で仮面(皮で作ったものらしい。)を脱ぐんですけど、脱いだ途端に普通のイタリアの小父さんに成ってました。歩き方が違う。不思議ですねェ。役者さんて。
舞台上は一段高くなっていて、そこが本当の舞台という設定。周りに椅子が数脚。そこに出捌けの役者が待っていたりって言う。今ではよく見る二重構造の舞台。
板張りの本舞台上は、奥に柱が二本、横棒に何枚かのカーテン。背景の絵が書き割りになっているという、非常に簡素。
で、そのカーテンちょいと短い。上手に一杯に引くと下手が、逆に引くと逆が、微妙に開くんですよね。
話は変わりますが。前回の『金の卵1960』、楽日のエピローグ。アクシデントがあり、舞台装置が壊れました。でも、その時のお客さんの笑いは本物でした。もちろん再現は無理です。でも、あのリアルな笑いを突き詰めて行くと、あの短いカーテンに行く着くのかなとも思います。
リアルだとか、現実っぽいとか言いますが。お客さんは賢い。だれも、舞台に現実なんて見てないし。芝居を、つまりは「嘘っこ」を見てるわけです。でも、真剣にその「嘘っこ」を極めて行くと、現実より美しい「真実」が、ふっと立ち現れる瞬間がある。故に、役者もスタッフも真剣に「嘘っこ」をするわけです。では、もっと「嘘っこ」を計算していくとどうなるか。
舞台上に、「これはお芝居ですよ。」、「嘘ですよー。」って言う何かが欲しくなる。
短いカーテンは、役者に上手に下手に引っ張られ。舞台裏を隠そうとする。しかし、ワザとそれを演出することによって、不思議な何かが現れる。そう言う事なんではないかしら。
たとえば、日本の文楽でも、名人の人形遣いが人形を操る場面では、顔を隠さない。どうどうと、これは人形芝居ですと誇示してみせる。
『曽根崎心中』のお初、徳兵衛の道行にしても、なぜ文楽が美しいのかは、計算されつくした「嘘」を堂々と行う洗練さにあるんだと思う。
それでいて、そう言う表現って、単純で簡素です。ねえ。
追伸
イタリア仮面劇に関しては、ジャン・ルノワール監督『黄金の馬車』で、コメディア・デラルテの仮面劇を扱ってるんで興味のある方はどうぞ。ちなみに監督は、あの画家のルノワールの子供です。ちょこっとあらすじ書いておきます。
『黄金の馬車』あらすじ
18世紀の南米スペイン植民地を舞台に、イタリアからやってきた仮面劇の一座を軸に展開する恋のさやあてと宮廷の陰謀劇を、舞台と現実をないまぜにして描く人間喜劇。
友田です。
ベトナム戦争時のアメリカの国防長官であったロバート・マクナマラが死にました。G.comの世界とは何の関係もないような人ですが、次回作「金の卵 1970」はベトナム戦争が時代背景にあるのでちょっとお話を・・・。(もっともマクナマラ氏が国防長官だったのは1968年までなのですが)
この人、「アメリカにはこういう人がいるんですよね」という、超パワー・エリートです。ハーバード・ビジネス・スクールで経営分析を学び、大手会計事務所に勤めていましたが、太平洋戦争中に陸軍に加わり、その分析手法を戦略爆撃の立案に応用します。日本の都市を襲ったB-29の大編隊。あれは、ちゃんと費用対効果を計算して綿密に計画が立てられていました。それをやっていたのが彼。戦後はフォードに加わり、経営を建て直して1960年には社長に就任します。その直後、発足したばかりのケネディ政権に乞われ、国防長官に。
要するに、超頭いいので、何やらせても出来てしまう。それも実務家で、すごく現実的です。理想に頭を悩ませたりしない。自分が世界を回していると思っていて、実際にいろんなことを仕切っている。ただ、そのドライさは、手段を選ばないことにもつながる。要は、結果を出せればいいのです。
例えば核兵器についても、必要なら先制攻撃も辞さないし、攻撃されたら確実に報復できるような体制を作ろうとする。ベトナム戦争については共産側による侵略であると信じ、勝利のために特殊部隊を駆使した様々な秘密作戦にも手を染めました。増派に次ぐ増派。やがてこの合理的人間も、戦争への疑いに心をさいなまれていくことになったようですが、その時は既に何百万人という死者の山が築かれていました。
晩年にドキュメンタリー番組に出演、ベトナム戦争に対する反省を率直に述べました。北ベトナム軍を率いていたボー・グエン・ザップ将軍とも会談、恩讐を超えて語り合ったりもしています。その勇気と行動力はさすが。ただ、その語り口は最後まで「やり方を間違えた」というもの。合理的人間の魂百までの感がありました。
「いやー友田さん。イーストウッドはまずいっすよ。」って何言ってんの岡ちゃん。の岡田です。
僕、嫌いです。いいえ許せません。イーストウッド。
でも嫌いって事は、それだけ目が離せないって事。うーん。哀しい事に。「愛」ナーんてね。でも一言、「言いてええー」って事で。
ずっと見てます。イーストウッド。
監督デビュー作『恐怖のメロディー』から、『硫黄島、二部作』まで。三十作品弱かなあ? でも、今年の二作は見てません。
なんか辛いんだよねえ。イーストウッドの作品って。って言うか。あのナルシズムが羨ましくもあり、ムカつくって事なんですな。
監督デビュー作『恐怖のメロディー』から、それこそ誰が見たいのって言うラブシーンでっせ。たしか滝に打たれながらだと思った。まあでも、それは若いって事で......許せるが。
でもです、2002年『ブラッドワーク』、まさかのラブシーン。72歳でっせ。それも二人と。まああ。なんと言うか呆れると言うか何と言うか。いやあ、でもそんなエロ爺いは、どこにでもいるしーみたいな。
ただねええ。「表現」と言うか「表現したい。」と言うことを、堂々と行動していると言う点では適いまへんなー。
それはね。ヘンリー・バムステッド。超有名な美術監督です。ヒッチコックの『めまい』や、『スティング』もやっている。そのバムステッドが、93歳で、硫黄島の完成前に死んどるんですわ。だから何?って言われれば、そうなんですが。まあ現場という事を考えるとねえ。もうすこし人間的にテンションですか。下がっても。つまり、もう映画辞める。とかね。でも平気のヘイさって感じで、作られるとねええ。
まあ、はい。
まあ『グラン・トリノ』見に行きましょう。やだなああ。
そば屋が行ったみたいで、「辛いよー。」って言ってたなあ。でも、「生きて行かなくてはねえ。」
友田です。
1999年から4年間アメリカにいた。ニューヨーク州のバッファローという、ちょうど100年前が最盛期だった寂れた町だ。そこで何をしていたのかというと、大学院に通い、経済学者になろうと勉強していた。割と本気で。
今にして思えば色々無謀な点も多く、例えば生活を支える金銭的な裏づけなんかも不十分だった。そもそも私が学者に向いているのかと思うと、微妙に違っていた気もする。でもそんなこと関係ないのが若さというもの。何ていってもそこはアメリカ、全ての夢が叶う地だ。
今では知っている。そんなの嘘だ。叶う夢はほんの一部。でもね、30歳そこそこでアメリカで暮らしてごらん。空は広く青く、道路はどこまで行ってもまっすぐだ。自分の冴えない過去なんて全部なくなって、未来の可能性が全開で微笑んでいる気がする。何でも出来る、何にでもなれる。そう思えた時の幸せな気持ち。今でも忘れられない。
その当時、いっしょに勉強していた若い日本人がいた。Kさんというのだが、私より7つぐらい年下で、当時24歳じゃなかったか。彼はその後、カリフォルニアの大学の大学院で勉強を続けた。先日名前を検索してみたら、去年からアメリカ南部の大学の助教授になっていることがわかった。10年間の苦闘を経て、Ph.D.(博士号)を取得、本物の経済学者になったのである。
本物の経済学者になるというのがどれほどすごいものか、これはこの道で勉強してみた人でなければなかなか理解できないものだけど、優秀な青年が10年間、朝から晩まで勉強し続けなければ手に入らない称号というものが世の中にはある。尊いことだ。そしてKさんはそれを成し遂げた。なんと立派なこと。
友田です。
先日クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を見に行きましてね。
これっていくらでも論じようがある映画だと思ったんですが、一つ思ったのは、イーストウッドが自分を「可愛く」撮っていることでした。引退したフォードの工員なんですが、怒りっぽくて頑固でね。で、だんだん機嫌が悪くなると「ふーっ」なんて鼻から息吹いちゃって。可愛いんですよ。
ちょっと意外に思った。この人は、自分をこういう撮り方したしたことあったっけ。まあ、実はあんまり見てないので分からないんですが、以前、例えば「ミリオンダラー・ベビー」とかとは全然違いますよね。要するに年取ったってことなんだけど、「老い」を「可愛さ」として表現するのは、年寄りの最終兵器というか、何か捨てないとできないことですよね。「もう怖くはない」ということだからね。怖さって特に男の場合にはセクシーさの一つだったりもするじゃないですか。特にイーストウッドのような男ぶりを売り物にしていた人が自分を可愛く撮るってのは、何か捨てたわけですよね。
て思ったら、この人、これでもう俳優として映画に出るのは止めるということらしい。そう思うと衝撃のラストとか、そこに込めた思いとか、なるほどなるほどって感じで。なかなかよく出来た作品だと思いました。
いまだかつて滅ばなかった文明というのはないのであって、今のだって必ず滅ぶときはくる。何とも心休まる話ではないか。例えば目の前のこれだが――と246を歩きながら私は思った――もう100年もすれば、アスファルトはめくれ、土ぼこり舞う元の姿に戻っているはず。行き交う車の流れは絶え、たまに太陽光パネルを載せた電気自動車が、せいぜい時速30キロぐらいでやってくるばかり。ウィーンと低い電子音を上げて。
視界をふさぐ邪魔ッけな首都高の道路のほとんどは崩落。ただ、橋げたは結構丈夫だ。阪神大震災の後に補強したから。だから、橋げたの周辺だけは100年後にも残っているのだ。雨よけにちょうどよいので、橋げたの根元が商店街になっている。周囲20メートルぐらいに、バラックが立ち並んでいる。細い路地の両側に、木の露台を連ねた小さな店がくちゃくちゃと密集しており、八百屋や魚屋はもちろん、たまには甘味屋があって、お汁粉とか、小さい書店で活版刷りの雑誌とか、何ならプラモデルなど――誰がプラモデルを製造するのかという質問は禁止――売っているわけである。夜になると、橋げたの上に残った道路部分に並べた太陽光パネルで昼の間に発電したわずかな電気で、暗い電灯が点る。その下を人々は長い影を引きずりながら、サンダル履きで行き交うのである。
お金は毛沢東の顔の人民元だ。中国に支配されてるわけじゃないが、鎌倉時代と同じで、とりあえず手近で手に入る中国通貨を使ってる。基本は農業で、道路からちょっと離れると見渡す限り田畑。春になると一面の菜の花畑に、大きな太陽が沈むのが見られる。夜も八時にもなると、短い宵の享楽も終わり、みんな家に閉じこもる。夜は長く、人々の生活は静かだ。
梅雨の季節、橋げたの端っこから滝のような勢いで水が流れ落ちる。それを下に水槽を置いて受けるのだ。浄化槽を通して飲み水にしている。橋げたの上の道路部分に雨が降る音を通奏低音にして、人々は夢の中に吸い込まれていく。
夏、流しの楽隊がやってきて、祭になる。その時ばかりは箪笥の奥から昔の服を引き出してくる。ま、よくわかんないけど、コムデギャルソンとか。ふだんはTシャツだ。祭の日には花火もやる。玉のでかいのは高価だから、ロケット花火が中心だ。灯りがほとんどないから、夜空は漆黒。ロケット花火の光跡が闇の中に溶けていく。ひゅっという音と人々の歓声が止むと、音一つない夜が戻ってくる。
秋、夕暮れ時になると、赤とんぼが田畑を行き交う。いなごのように群れて、不吉なほど多い。夜は虫の声。田畑一面に響き渡る。
冬は重ね着する。暖かい服はない。革ジャンを着てるとすごく裕福に見える。暖房は薪で、バラック作りの家の中は暖かくない。冬は辛い季節だ。でも、餅を焼いて食べるのが楽しみだ。みかんもある。
こうして一年、また一年。単調な繰り返しの中で、昔のことは徐々に忘れられていっている。歴史を記録する人はいない。あと二世代もすれば、自分たちに屋根を提供している橋げたがそもそも何なのかも忘れられそうだ。年寄りは説明を放棄し、若者は記憶を放棄する。橋げたは老朽化している。あと数十年で、倒れるだろう。誰も修理するものはいない。やがて残骸もなくなり、どうしてそこに集落が作られたのかすらわからなくなるだろう。
すべては無意識の奥へと、ほどけて溶けていくのだ。遠い日の、果たされなかった約束のように。
どもども、岡ちゃんでーす。
剛ちゃん、それおかしくねえ? だってさあ、自分で昔は、死を喜んで扱ってたわけや。つうことは、今より、はるかにずーっと「演劇」に近かったんと違うやろか? 頭で理解するより、直観ってやつで分かってたんとちがうん?
だとしたら、なんで自分は、「演劇をやればやるほど「演劇」から遠くなったのか?」 言うことになるんと違いまっか?
いきなりですんまそーん。なんだそれ?って方は、主宰 三浦剛の記事「書くって......何かしら?」を見てね。
まあ、理由と言うかなんともはや、要は「命令」ですな。これ。
そうですそうです。例えばオイディプス王、殺したくは無いんです。殺人なんてねえ。あんた。そんで逃げるんです。逃げて逃げて。国までかえて逃げまくるんです。
でもねえ。まあ、太陽からは、どこをどうやったって逃げられんのですよ。ええなんともはや、太陽神ですわ。ボイボスって言われとります。はあ、「ボイボス」なんてねえ。どこのボスだあ? なんてね。
まあアポロンですわ。ボイボス・アポロン言います。そいつの命令なんですわ。「父親を殺せ」ってねえ。だから逃げるんです。逃げて逃げて、でもねえ。哀しい事に逃げられんのですわ。まあそれが「演劇」のもつ一つの真実なんですなあ。
そりゃあ、あんた単なる殺人マニア書いたところでオモシローは成らんのです。はあ。やっぱり、そこまでの道筋ですなあ。苦しまなあ、あきまへん。まあとことん苦悩して、苦しんで苦しんで、そこからホレ、俗に言う「PASSION」でっか。それが生まれるとこまで苦しまなあ、お客さんが喜びまへん。ハムレットさんも、そうです。苦しんで悩んで苦しんで、苦悩はしてます。
そうそう、ドイツのど田舎のカントさんが、いいこと言ってます。
「人間の労苦と言うのは、永続的に循環しつつ回転し、それがすでにかつてあった一点へと回帰するのです。そうして、今は塵のなかにある材料が、おそらく立派な建物へと仕上げられうるのです。」※2
まあまあ、悩んで苦しんで、ああでもないこうでもない、そうだこうだと堂々巡りして、結局は、元に戻ったりするんですなあ。はい。そんでもって初めて「豊か」な何かが出来上がったりするんですやろうなあ。
※1 『ヘルダーリンの賛歌「回想」』(ハイデッガー全集第52巻)
※2 『物への問い カントの超越論的原則論に向けて』(ハイデッガー全集第41巻)
ちなみにカントの言葉は、カントのガルヴェ宛の返書にあるようです。
落ちちゃいました。世界遺産。そういうのも「まっ、良いか。」って事で岡田です。
東京のお気に入りの場所って、ああた。それが国立西洋美術館二階、中庭に面した休憩場所だったんですよ。なにせ、設計がフランスのル・コルビュジェさんですよ。ねえ。まあでもねえ、特別展に行ったって駄目ですよ。
あのいきなり地下に行く方ね。あれはあんた、たんなる日本建築ですよ。でもね、そうそう常設のほうです、常設のねええ。それがずーーーーと工事してて、やっと完成ですわなあ。まあ、世界遺産には落ちたみたいですが。
まあ、コルビュジェと言わず、御茶ノ水のアテネ・フランセ文化センターとか、市ヶ谷の東京日仏学院L'INSTITUTEって、やっぱ違うんですなあ。窓の配置、光の取り入れ方、階段の手すり。それと「色」。
湯川秀樹だったかなあ? 朝永振一郎だったか? まあ有名な日本の物理学者がね、言ってたんですけんど、「人間は直線と垂直、自然は曲線で世界をつくる。」とかね。でもそう、ちょっと身の回りを見たってね、自然の中に直線なんてえのは非常に困難だし、垂直に到ってはねえ。
でも、そこで建築するわけで。人間はねえ。おそらく、人間が作った中ではもっとも完璧に近いような伝達記号の「数学」ちゅうもんを基礎におくとそうなるんでしょうが。でもねえ、あんたやっぱり無味乾燥と言うかねえ。
「モデュロール」ってねえ。フランスの建築家ル・コルビュジェさんが、考え出した基準なんですがね。要は、手を上に上げた、その高さですねえ。まあヨーロッパ人が基準なんで、226cmとか言われてますけんど、それを元にした訳ですよ。
まあ、もちろん、垂直も直線もあるんですよ。でもねえ、そりゃあやっぱり。理念としてそういうものをおくと何かと感じが違ってくるわけでねえ。「う~んやっぱ、きもちええなあ」って事にもなるんですがねえ。
まあ、そんな事も考えると、世界遺産になんぞならん方が、人間ぽくっていいのやもしれまへんなあ。
まあ、興味の有る方は、大成建設に「ル・コルビュジェ・アーカイブ」があるんで↓まで。
http://www.taisei.co.jp/galerie/archive.html
あと、西洋近代美術館でも、8・30まで、ちょっとした事やってるんで、↓まで。
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html
友田です。
マイケル・ジャクソンが死にましたね。私が中高生だった八〇年代は洋楽の時代で、アメリカのチャートのカウントダウンが夕方のテレビ番組として成立していた。マイケルはその代表的なスターでした。私はそれほど洋楽にはまっていたとは言えないが、それでも何枚かレコードは持っていた。
ともかく非凡な歌手で、今でもファーストフードなどで彼の声変わり前の歌声が流れていますね。「ABC」や「帰ってほしいの」など。まさに天使のような澄んだ声、完璧な音程と歌い回しで、「こんな美しい歌声が現実に存在するならば、世の中も捨てたもんじゃない」といった思いさえ抱かせます。
そんな、まるで魔法の杖さながらの才能を持った少年が、やがて大人になり、歌とダンスで世界を沸かせ・・・。しかしやがて自分の城に閉じこもり、少年たちと毎夜の饗宴。あげく顔は白く、醜く崩れていく・・・。一編の寓話のような人生を駆け抜けていったマイケル・ジャクソン。彼をそうさせたものは何だったのか。
もともとエキセントリックな人だったと思うけど、一方で、先頭に立つものの辛さを思います。マイケルが世に出た当時、黒人音楽を一般の白人が聞くという習慣はほとんどありませんでした。 いや、もちろん聞いていた人はいたが、インテリとか、自分が音楽をしている人。あとは突っ張った若者とか・・・。要するに普通の白人大衆は聞かなかった。だから、黒人ミュージシャンはどんなに大物でも地方に行くとホテルに泊まれないという現実がありました。ホテルのフロントとかドアマンをしている白人のあんちゃんやオジサンにしてみると「お前が有名ミュージシャン?ざけんなクロンボのくせに。顔洗って出直して来い」。そんな時代。
それを塗り替えたのがマイケルだった。マイケルが歌い踊る姿をミュージック・ビデオで見た白人たちは人生で初めて「黒人にもかっこいいやつがいる、黒人音楽ってかっこいいのかも」と思い始める。それまでも、白人ミュージシャンが咀嚼した黒人音楽を「かっこいい」と思って聞いていた白人大衆が、はじめて「黒い顔」も含めて「ありかも」と思った。これは本当に歴史的に初めてのこと。
だけど、黒い顔を持って白人大衆の中を先頭切って走っていたマイケルはどうだったのか。そのころ、リッチでハッピーな黒人なんて、あの国にはほとんど一人もいなかったのだ。自分がそうなることができるのか?音楽やダンスにおけるほど、彼には、日常生活における創造性や器用さがなかった。白人のようになる以外に、リッチでハッピーになるモデルを見つけられなかった。欧州の童話をアメリカ式に翻案したディズニーの世界やピーターパンに憧れる。彼の妄想世界に黒人の居場所はない。当時のディズニーの世界の主役は白人か動物。動物になる気がなかったら?答えは明らかじゃないか。
こうして彼の鼻やあごは細く、肌は白くなり始める。自分が白人になれるネバーランド(どこにもない国)を目指す彷徨がはじまる。
2008年、アメリカの白人大衆は「黒い顔の大統領もあり」という判断を下した。それは、25年前に彼らが「黒い顔のスターもあり」と認めたことの、一つの帰結だ。線は一本につながっている。マイケルなくしてオバマはなかった。大げさでも何でもない。
その時、多額の借金を抱え、裁判で名誉も失い、整形のしすぎで崩れる白い顔を鏡で見て、マイケルは何を思ったのだろうか。
半年後、彼は永遠に舞台を去った。
やっぱ今一なんですラテン語圏。イタリアもスペインも、文学的には。
なーんて、お前そんな読んでんのかよって。まあそこら辺は、好い加減に、イイカゲンな岡田でーす。
巨大な古典はあるんですよ。ダンテ『新曲』とかセルバンテス『ドン・キホーテ』とかね。でもやっぱ近代的な繊細さって、ラテン語中心だと生まれにくいのかなあ。鳥が鳴いてるみたいな言葉だしねえ。ゴダールの『ヌーヴェルバーグ』で、正直になれないからイタリア語で話すとかってシーンがあったけど、正直すぎると物語りにならんのどすやろーなあ。
て事で、やっぱ中途半端で偉そうで、でもちょっとラテン語なフランスでしょう。
● マルセル・プルースト『楽しみと日々』福武文庫
おなじみ『失われた時をもとめて』の作家の、若い頃の本です。ちなみに、題名がヘシオドス『仕事と日々』のもじり。分かったあんたは、エラーい。
う~ん。プルーストの面白さって何だろう? 金持ちの、喘息もち、ユダヤ人で、同性愛者。やっぱ、視点の客観性? 「喘息」って、本当に辛いらしいからなあ。でも、逆に「生きている」って美しさが見えたのかも知れんなあ。
● ジェラール・ド・ネルヴァル『火の娘』新潮文庫(『火の娘たち』ちくま文庫 もあるみたい)
プルーストも影響を受けた幻想文学者。ふかーいです。森の奥って感じ。なんだかグニャグニャしてて、ああ、でもほんとうは「精神」ってこんな感じなんやと思いやーす。ちなみに遺稿『オーレリヤ』(思潮社)は、もっともっと深海かなあ。カオスって言うかヘーゲルって言うか、まあ、こういう奥底から「世界」は生まれるんだしょうなあ。
● ギュスターブ・フローベール『三つの物語』(中央公論の文学全集で読んだんだけど、福武文庫からでているらしい。)
『ボヴァリー夫人』で有名なフローベールです。なんだろう? 一切の感情が含まれない筆致と言うのは読んでいてスンゴイなー。ゴダールが、「描いただけで芸術になる画家のフェルメール、作家のフローベール」と言っていたが、そういう感じ。ちなみに長編では、『ボヴァリー夫人』よりも『感情教育』よりも、ちょっとマイナーな『サランボー』(角川文庫)が好き。
追伸 絶版が多いですけど、アマゾンの古本とかでは手に入るみたいです。
宇宙です。大きいです。バカでっかいです。広いです。
ええ? でもなんでー? そうです。そうなんですよ。宇宙がデカイなんて、広いなんて。正直、本音......知らねえよ! 何て言う岡田どえーす。
でもだったらなんで「宇宙」もしくは、それに付随する「何か」は有るんでしょうか。
ええ......?。でもそれって、多分......。
そうそう、そうなんですよ「印象」、印象。もっと言えば「ちょっかん」、直観、直感。直に感じた何かなんですよねえ。そんでもって、それが、「言葉」という不完全な伝達物質を通過するうちに......いろいろと尾鰭がついて、まあなんですか、いかにもの「嘘」と「真実」っぽい物になんるんですなあ。まあ、俗に言う「抽象」ですか。そんな作用です。
ちなみに「宇宙」感じちゃいました。
「一生懸命」ええ? 「一所懸命」ですよ。
そうです、そうそう、そうなんですよ。「一所懸命」が正しいんです。だって、「一所」つんまり「土地」です。大事だったんです。鎌倉・室町・戦国時代にはね。だから「土地」=「国」の為に懸命になったんです。
そうなんですよ。そうだったんです。でもバカでしょう。戦国の奴等。有名でしょ。信長、秀吉、京極、浅井、六角......etc でもねえ。あいつら馬鹿ですよ。だって、それこそ利休みたいな奴にたぶらかされたにしてもですよ。「国」。つまり領地、「土地」=食料=米のもととなる「国」をですよ。たかが、10㎝に満たない小さな焼き物と同等にしやがりやがったんです。ちっちゃな壷=「国」でっせ。
そうなんです。「茶入」です。ここまで来て「茶入」と直感した、あんたは偉い。いやあ、ちょっと前のブログでも書きましたが三井記念美術館。勿論「卯花墻」、見に行ったんですよ。
でもお。「重要文化財 大名物(おおめいぶつ) 唐物肩衝茶入 北野肩衝 南宋時代 北三井家旧蔵」なーんて書くと如何にも仰々しいんですけんど。要は10㎝に満たない、南宋の時代に中国で焼かれた小さな焼き物です。ちなみに「茶入れ」として日本で使ったので「茶入」と呼ばれているだけ。本来は、名も無い、でも本当の芸術家が、恐らく命を懸けて作った作品。
何ででしょうねえ......。目が行っちゃうんですよ。そんでもって、どうしようかなあーなんて。ねえ。書こう書こうと思っても、やっぱ書けないんです。表現できないんでね。そんでもって、ちょっと時間を頂いたんですが。そうそうそうなんですよ「宇宙」なのかなあ......ひるんじゃいました。
ちなみに、四年まえに、青山の根津美術館で、大々的な「茶入」の展覧会があったんです。どうせつまんないんだろうなあ何て、思いつつ行ったんですが。えーーー! っ感じで、感じちゃいました。そんときにも会ってました「北野肩衝」。
あっ! 声が聞えた。つづきはまたと言う事で。
興味が有る方は、↓をどうぞ。って前と同じ三井美術館ですけど。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_01.html
いまはユニクロです。ちなみに、月・火・木・金(水・土は不定期)の夕方、川崎の蕎麦や「美濃戸(みのと)」で働いてます。そこの服がユニクロです。だから面倒くさいので、昼間もユニクロです。ユニクロって着てて楽なんで、休日もユニクロです。
だってお金ないんだもーん。の岡田です。
演劇やってるし。バブルの洗礼受けてるし。ほんと、フレンチもイタリアンも行ってねえーし。ボルドーもブルゴーニュも飲んでねーし。快楽を与えといて、奪っていく神々って許せねえよなあ、全く。とシェークスピア宜しく、他人の所為にしまーす。
とは言え。バブルっていろいろ勉強になりました。マルセル・ラサンスの服は好きだなあ。ボーナス後のバーゲンって言うと、代官山と銀座、梯子したりしてね。もう二店とも無くなりましたけど。
と言う事で、Marcel Lassanceはブランドです。デザイナーの名前でもあります。ただ、デザイナーと言うよりもセレクトかな。イタリアとかイギリスの良い服が選んであります。
シャツは、ほとんどがボタンダウン。そういう拘りはあるみたいです。あんまり目立ちません。ポロやブルックス・ブラザースのボタンダウンって直ぐ分かるんだけど。つまり、いかにもボタンダウンですよーみたいな、きちっとしてますよ、みたいな。でもマルセル・ラサンスのボタンダウンは控えめです。きちんとしてない訳じゃあないんだけど。「如何にも」では有りません。「あそび」だよなあって感じかな。
なんだろう、それって? それが「遊び」? それって「遊び」。遊びをせんとや生まれけん。ちなみに「遊」は、「自在に行動し、移動するもの」だそうです。「神と共にある状態」だそうです。孔子も「芸に遊ぶ」ことを人の至境としているそうです。(白川静『字統』平凡社)
Marcel Lassance「素材を奥深くさがしもとめ、無秩序の中に着心地の良さを常に探求しています。」だそうです。
セールの案内が来てました。でも行けないんだよねえ、僕は。あーあ、買えない。高いんだもーん。
青山の「Le Globe」(ル・グローブ)で手に入ります。あんまり量は多くないけど。
この店、SHIPSの高級版セレクトショップです。メンズのみ。6・26~7・9までセールみたい。頑張ってバブルに戻ろうかなあ。
ご興味のある方は↓みてね。
内海詩野 「岡田さん、これ読みます?」
岡田 「はあ?」
詩野 「カバン、入らないんで、良かったら。」
岡田 「ふん。じゃあ、借りる。」
友田 「小川洋子の本ねえ。ふーん。でも岡田さん。きっと、嫌いだよ。多分。」
先日の、本読みでの事、こんな遣り取りがありまして。ちなみに詩野ちゃんは、今回、『金の卵1970』出演の女優さん。友田さんは同じ文芸部。
そんでもって、やっぱり友田さん。「ピンポーン。」と言う事で。案の定、短編集『海』小川洋子著は、僕には物足りませんでした。詩野ちゃんゴメンね。
なにせ、戯曲を書けば。「世界を暗闇で包む」とか、まことしやかな、正確なお言葉を頂ける私です。中途半端は駄目。そこで、岡田の好きな短編(作家と作品かな)。
日本編
第一位 吉本ばなな(親父はどうでも良いが、娘は凄い。)『デッドエンドの思い出』(文春文庫)
実は『マナカのソファー』(幻冬舎文庫)が一番なんだけど、文庫で100頁だから短編じゃあないだろうな。短編集だと『デッドエンドの思い出』(文春文庫)がパッと出た。粗筋とか言われると覚えてないし。でも、この人、哀しい事に「見えて」いるんだと思う。
第二位 花輪莞爾(古本屋で見つけてビックリ。いまだに良く分からない作家。)『悪夢小劇場』『海は呑む 悪夢小劇場2』(新潮文庫)
なんか最近、ウチヤマ出版から『悪夢百一夜』として分厚い短編集が出ているらしい。上記二冊は、そこに吸収されているみたい。フランス文学専攻で、国学院の教授らしい。でもほんと、その本体が掴めない。子供向けの翻訳もしているらしいし。シモーヌ・ヴェイユの翻訳とかもやっているらしい。不思議だ。
古本屋で偶然見つけたと言えば、『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイユ(筑摩学芸文庫)もそうだなあ。題名からして不可思議。でも、この人も「見えちゃった」のかなあ。
第三位 柳美里『家族の標本』角川文庫
作家を決めた後の小説は、今ひとつかなあ。戯曲もこの本の凝縮度に比べたらって感じ。なにせ短い。その中に、人間の蠢く感情がキチンと出ている。これは凄いなあ。
最近の本は、ほんと、もっともっと「見れば」いいのにと思うけど。やっぱ、辛いからなあ。
その内、本領発揮の外国編も、書きますよ。へへへ。
友田です。
突然ですが、「才能」という言葉についてちょっとお話を。何かやりたいと思う人がしばしば虜になり、人生を誤る人も続出するというこの言葉「才能」。果たして才能って何だろう。
その実体はやはりわからない。ただはっきりしているのは、そういうものはある、「才能」という表現で表される何物かはあるということだ。そして、才能には「大きさ」がある。手のつけようがないぐらい大きな才能というのはやはりあるし、それほど大きくない才能はそれ以上にある。やはり、大きい才能ほど希少なもののようだ。何かの分野で状況がすべてその人の周囲で回りだしてしまうとか、何十人、何百人の創作者がいようが、百年も経ってみれば結局覚えられているのはその人一人、というようなことはよくある。だれか、シェークスピア以外の16~17世紀の劇作家、知ってる?
しかし、あなたが生まれつき大きな才能の持ち主でなくても、絶望することはない。才能はある程度天与のものだが、同時に育てることが出来るものでもあるからだ。生まれつき巨大な才能というのもあるが、大きな才能も、ほとんどの場合は自身の努力によって築かれたもの。努力だけでなく、めぐり合わせとか、出会いとか、運の要素も大きいが、何にせよ、決まった大きさではないということだ。
さて、G.comというところだが、生まれつき大きな才能を持っている人など一人もいない。せいぜい中くらいの才能が集まっている。それも、若干出遅れ気味。大きな才能はやはり10代後半から20代で開花する。30歳を迎えるころには、その分野で押しも押されもせぬ存在になっているものだ。G.comには見事に当てはまらない。
生まれつき大きな才能は放っておいてもどんどん大きくなる。才能が状況を吸い寄せてしまうから。小さな才能は、あきらめた方が本人のため。趣味として楽しんだ方がいい。中ぐらいの才能は、実はいちばん難しい。あきらめるには惜しい。自分でも、才能はあると感じるし、周囲にもある程度は期待されている。でも状況を呼び寄せるほどの力はない。放っておいたら何事もなくどんどん馬齢を重ねていく。去年までのG.comメンバーはまさにこれであった。
しかし、それも徐々に変わりつつある。縁の作り方だったり、努力の仕方だったり。それによって、中ぐらいの才能は大きな才能に育つ可能性がある。研鑽あるのみ。そして、他人と力を合わせるのも一つの方法。集団としてのG.comに可能性があるとすれば、そこだ。出遅れ気味の中ぐらいの才能たち。とんだ負け犬集団だが、力を合わせれば、胸躍る冒険が待っているかも・・・なんてね。乞うご期待!
昼は整備工場の事務、兼、車検屋。夜は川崎の蕎麦屋で働いている岡田です。
まあ自分の時間の無いこと。それに風呂無しアパートの独り暮し(四十二歳)なもんで入浴の時間が無ーい。そこで、ジムなんですねえ。神のお導きとでも言いましょうか、GOLD'S GYM。
シュワルツェネッガー曰く、「筋トレは、セックスより気持ちいい」とかで、実は昔からGYM通いは日常。でも区民施設がメインで、会員登録は初めて。
TIPNESS、KONAMI(昔のイグザス)は行った事があるものの、アメリカのGOLD'S GYMかよと思いつつ、
でも、そうかそうだよなあ。ここ数年、アメリカ=バブリーみたいな感じだったけど。実は、開拓の国。
GOLD'S GYM
でも、意外と環境に順応するタイプなもんで。小一時間で順応。「おお、ここの筋肉のここに効くね。」なんて思いつつ、十数種類の昆虫機械と遊んじゃいました。でもまだまだあるんだよ。ふふふ。
筋肉って、鎧、甲冑なんだと思う。あの昆虫たちは、やっぱり「戦争機械」。鍛えるとか健康の為とか、ガラス張りのお洒落なGYMは巧妙に隠してるけど、結局「戦い」の「恐怖」と「憧れ」だもんなあ。
でも「敵」は外部に存在するんじゃあない。あくまで内在する。外部に「敵」を求めれば、ほんとに楽だけど、それは濁りだ。透明なものこそ内部に「戦い」を含む。
ああーあ。面倒くさ。
「激しく待ち焦がれながら/恐ろしい甲冑を身にまとって/数千年世紀」
(H・ミュラー『ハムレット・マシーン』中に引用されたヘルダーリンの詩。)
なあーんてな。
ちなみに宣伝、↓も見てね。三十人クラスの宴会もOKだよーん。
友田です。
梅雨ですね。どか降りよりもしっとり降る日が多い今年の梅雨。それほど蒸し暑くもなく、不快感も高くないと感じるんですが、いかがでしょうか。昨晩も夜半過ぎまで、屋根を打ったり樋から落ちたりする水音が静かに響いていました。
昨晩のような夜に雨の音を聞いていると、水の流れを意識します。例えば一本の樹は、無数の葉の表面でたくさんの雨粒をいったん受けながら、その下の葉へ、更にその下の葉へと水を落としていきます。その様子は、樹を小さな川が束になって取り巻いて、地面へと水を注ぎいれていくかのよう。
雨の日に樹からはざわめきが聞こえますが、それは水滴が葉を揺らす小さな音が、葉と葉がこすれる音と混ざって、濡れたような独特の音になって響いているもの。樹が林や森になっていると、樹のざわめきはもはや通奏低音になって周囲に響き渡っており、その周囲にいるものは人も犬もカエルも、ざわめきに無意識をひたひたと浸されているよう。そんな雨の日は、わたしたち人間の感情も、樹のざわめきを意識に変換した結果に過ぎないのかもしれません
水の流れのほとんどは人目につかないところに存在しています。樹から地面へと注がれた水が、そして側溝やマンホールに吸い込まれた水が、その先どこへ行くのか。正確に知っている人はいません。地下水脈は細い蜘蛛の糸で編まれた巣のように地中に広がっており、水はその網を、分子一つ一つ、かすかに振動しながら走っていきます。無数に合流と分岐を繰り返し、やがて川に。あるいは川の下を通る地底の川へと。まるで三軒茶屋付近の国道のように、水の流れも幾層に分かれながら、いまや生命を持つものの如く躍動しつつ、少しずつ海へ近づいていきます。岸を浸し、土を運び、石を削り、流木を運び、水草に酸素を、魚にプランクトンを与え、しみこみ、おち、はじけ、とどろき、たゆたい、われ、そだち、すすみ、ねじれ、ひびき、うねり、はしり、おどり、ひろがり、のぼり、あつまり、海へと運ばれていく水。
そしてその水が、いつか水蒸気となり、雲となり、また雨となって木の葉を濡らすのです。何年後か、何十年後か、それとも、わたしたちが皆死に絶えた遠い未来に。
友田です。
日曜日、主宰三浦が脚色を手がけた「ひめゆりの塔」(詳しくは三浦ブログをご覧ください)に足を運んだ。
内容は有名な沖縄戦の悲劇。約4時間の長いお芝居だが、飽きることはなかった。本当は別の用事があり、3時間ぐらいで失礼するはずだったが、目の前で沖縄戦が展開されているときに、退場などできるものではない。芝居の上手下手を超えて、二十歳前後の人たちが一生懸命にやっているということが放つ磁力も大きい。また、通路が芝居スペースと重なっているため、退場しようとすると物理的に芝居を妨害してしまうおそれもあり、結局最後まで見た。
次回G.com公演客演予定のSさんも出演。大柄で目を惹く存在感。一箇所、彼女が中心になる場面があるのですが、周りの人が台詞を吐いているうちに段々Sさんの目が潤んでくるのが面白かった。鍛え甲斐のある逸材と三浦は見込んでいるが、楽しみです。
それにしてもなかなかよく出来たお芝居だった。楽しいシーンの次には悲しいシーンを。徐々に強まる悲惨さと恐怖。ハリウッド映画の作劇術に似た計算が効いている。三浦の貢献がどの程度なのかは分からないが。
自ずと感じさせられたのは、「教育」というものが持ったある種の力というか、ここでは恐ろしさ。ひめゆり学徒隊は同じ敷地内にあった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒の部隊だが、そのことは、彼女らが当時の沖縄で最も恵まれた高い教育を受けていた少女たちであったことを意味する。同世代人口のわずか数%に属するエリートだ。
沖縄の文化は本土とは相当異なるので、沖縄には今でも日本人意識が薄い人たちも少なくない。当時はなおさらだったろう。そうした中で彼女らは、日本の政府や軍に与えられた役割を懸命に果たそうとした。一言で言えば自らの受けた教育に忠実な、とてもいい子らだったのだと思う。
皮肉でも何でもない。平時であれば、彼女らは卒業後は主に教育者として、沖縄の社会を支えていくはずの人たちだった。誰が何と言おうが、いい子というのは必要なのだ。地域社会で尊敬され、愛される人生が彼女らを待っていた。だが、非常時においては、彼女らが培った義務感・責任感が彼女らを死地に追い込んでいった。運命の皮肉というには余りに悲しい。軍国主義の過ちと言えばそのとおりだが、それだけで語れるものでもない。
そしてこれは、教師たちのドラマでもあった。日本語教師への転身後、わたしは「先生」という言葉に過剰反応する傾向があるが、それでもこれには参った。教師というのは平時においても演技の要素が多い職業だが、それにしても、自分の身も守れない戦場で「先生は君たちを守ります」というのは何と無茶な大ぜりふだろうか。もちろんこの芝居はフィクションだが、ひめゆりの先生たちは、実際にこれに似た台詞を吐かざるを得なかったはずだ。悪魔が聞いたら高笑いしそうな台詞を、それでも言うしかなかった彼ら・彼女ら。帰宅後インターネットで見てみると、確かに、ひめゆりでは生徒以上に教師の死亡率が高いのである(生徒は222人中136人が死亡、教師は18人中13人が死亡)。守れないものをそれでも守ろうとした先生たちの悲しさにわたしは涙した。
「4(し)」って数字はさけてます。そんな岡田でーす。
ロッカーとか、居酒屋の靴箱とか、無意識というよりも直感で忌み嫌ってます。だってえ、なんか嫌なんだもん。そうねえ、やっぱり「死」って怖いんだよね。でもなんで、でしょうねえ。だって知らないわけですよ。生まれてこの方、死んだことは無いわけだし、ずっと生きてるんですよ。まあ考えてみればですけどね。
でも一般的に、常識的に、そんでもって普通に言えば、その先に......。なんて考えると、やっぱり怖いんですねえ。
「怖い」ってやつは、でもたぶんそう絶対に、本当のものになる元の感情が生まれる所だと、魅かれているのかなあ、なんて言う何かで。好きです。だって結局は、怖いのって、どこかで気持ち良いという、何か「生きている」実感が、謙虚に戦慄する瞬間だったり。決して否定はしないんですけど。なああ。
「四つの最後の歌」。リヒャルトシュトラウスが、最晩年84歳の時に書いたオーケストラ付きの歌曲です。ヘッセの詩3曲と、アイヒェンドルフ1曲。ちなみに「春」「九月」「眠りにつこうとして」「夕映えの中で」。なんか嫌だけど、最晩年って感じです。
でも、こいつ相当に嫌なやつ。見栄っ張りの、エラぶり。若い頃に成功して、交響詩「英雄の生涯」とか書いて、でも、その英雄って誰だと思います。そうそう自分なんですよ。アホか、ドイツの田舎もんが。まあそんで、ナチを利用して、音楽の最高権力にぎったりして。まあ、でも一生懸命に、はてまた「人間的」に生きたんでしょうなあ。
明るい曲なんですよ。基本。長調だし。特に最後の「夕映えのなかで Im Abendrot」、それこそ明るい変ホ長調で始まって。まあ最後は「これは死なのだろうか?」って終わるんですけど、その最後のところ、ホルンに「二長調3和音」とやらが現れるんだそうです。CDの解説に書いてある。それが「根源の忘却」って奴の動機になってて、うーん、根源の忘却かあ、何じゃそりゃあ? とは言いつつも、長いながーい階段を上っていくとそんな所にも行くのかなあなんてねえ。
ちなみにCDは、カラヤン指揮、ベルリンフィル ソプラノ グンドラ・ヤノヴィッツ(1973年録音 グラモフォン)が最高。
カラヤン、1985年に同じベルリンフィル、ソプラノ アンナ・トモワ=シントウで再録音してるけど、やっぱりヤノヴィッツの美声がいい。それに名ソプラノ、シュワルツコップ盤よりも、やっぱり、この曲にかんしてはヤノヴィッツが良いどえーす。
岡田でーす。
にごってるなあー。慣れないながら文芸部と言う事もあり、何かとブログとやらを書いている次第ですが、なんとなくモワーっとして、しっくりしない感じで。だったら書かなきゃいいんだろうけれど。やっぱりどっかで書きたいと言うか、表現したいというか。本音で言やあ、自慢と言うか、「凄いだろう。」みたいな。そんな意志には負けてるよ、なんて気負ってみたところでねえ。
でも「分かってるんですよ。」 知識ひけらかして、恥ずかしい。人間としてはイヤらしい部類に属する感情で、でも、表現ってそんなもんだろうなんて。悟った振りして、隠しとけばいいんで。「能ある鷹は爪を隠す」けど、でも「爪は有るんだよ。」って分かって貰わなければいけないんだよなあ。
そんな感情って、でも「人間的」かもしれないけど、なんとも早、しっくりこないんですよねえ。困ったことに。
「卯花墻」(うのはながき)は、志野焼きのお茶碗です。来年の今頃の公演予定の、川端康成の『千羽鶴』に出てくるのが志野で、小説中は「水指」がメインなんですけれど、なかなか志野の「水指」ってお目にかかれないんで、国宝故に、年一回は公開される「卯花墻」(うのはながき)を見に行きました。と言っても、実は、この公演のお話しは、二年前くらいに遡って湧いた話なので、去年の今頃も、そそくさと、日本橋の三井記念美術館に通ったりした次第です。
はてまた、このお茶碗とは、実はその前にも何回か面識が合った次第なんですけれども、「なんで国宝?」って感じで、いつも見ていたのが、去年に何度も通っているうちに、けれんみが無いと言うか、素直と言うか、若々しいと言うか。それは多分に、名も無い美濃の陶工の、その真っ直ぐな気持ちが、偶然に、安土桃山と言う時代と合致したところに、普遍的に現れた、永遠の表現なんだろうなあ、なんて事を思ったりもしたんですよね。だって、僅か十年で時代から消えてしまった、その技は、多分に恐らく継承可能な技術と言うものとは全く別個のなにかなんでしょうねえ。
興味のある方は、以下を見て下さい。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_01.html
「おお、あの映画が来るのか」。こないだ映画を見に行ったときに、予告編で思わずこぶしを握り締めた。ドイツ映画「バーダー・マインホフ」がやってくる。
昨年秋、ドイツに旅行したとき、ベルリンの映画館で上映中の看板を見かけ、思わず飛び込んだ。一言で言うと、ドイツ版「実録連合赤軍」である。銃撃・爆弾・流血。犠牲者は30人を超えるというドイツの左翼過激派「ドイツ赤軍派」(別名バーダー・マインホフ・グルッペ)の一件を扱っている。
70年代に暴れたこのグループ、銀行強盗、企業爆破、要人暗殺やハイジャックにまで手を染め、最後には獄中で幹部が集団自殺しちゃうというアナーキーさ。だからこの映画を真面目に見れば鬱々とするしかないはずなのだが、実際は俳優がそっくりにメイクアップして演じる幹部たちが妙にクールな美男美女ぞろい。それに加え、あまりの暴力の連鎖とスピード感に頭の芯がくらくらして「ひょっとしてすごくかっこいい??」と勘違いしてしまうという危険な映画である。
中でも際立った特色は女性の過激さ。このグループは最高幹部3人のうち2人が女性。スキーマスクで顔をすっぽり覆い、ドイツ人特有の分厚い身体の彼女らがマシンガンを構え、「おらおら」と銀行員を脅すところとか、ほんと、格好いい。
いや、だからそれでいいのかってのはあるんですけどね。そこらへんも含めてちょっと考えてみたいという人にもお勧め。
この秀逸なタイトルの小説は、アメリカのユダヤ系作家マイケル・シェイボンの作品。最近新潮文庫から翻訳が出た。アメリカでいくつも賞を受け、コーエン兄弟による映画化も予定されている評判の傑作。ただ、日本人が読むには少し背景の知識が必要で、多分そんなに売れないと思う。
この作品は基本的にハードボイルド・ミステリだが、設定はSF的なパラレルワールド。そして重い問いと流麗な文章は純文学のクオリティだ。この組み合わせ、実は最新作「1Q84」を含む村上春樹の多くの小説にも共通する。いま世界の文学的な想像力の向かう一つの方向のようだ。
「ユダヤ警官同盟」が舞台にしているのは、アラスカの架空のユダヤ人居留地「シトカ特別区」。欧州からの亡命ユダヤ人の受け皿としてアメリカが作ったものだが、2007年の現在、2ヵ月後にアメリカ政府への返還が迫っている。そしてこの世界ではユダヤ人国家としてのイスラエルは成立することなく流産。シトカ特別区廃止後のユダヤ人は行き場のない流浪の民と化することが決まっているという設定だ。この出口なしの状況の中で、ある殺人事件が起こり、心身ともに深い傷を負った中年刑事が解決のために走り回る。そして、特別区返還を巡る様々な勢力の思惑が絡み合う構図が浮かび上がってくる・・・。
なんでハードボイルドなのか。おそらくは複雑化した世界に、何者でもない一人の人間が向き合うたった一つの方法だからだ。簡単に踏み潰されてしまうどぶネズミのような小さな人間だからこそ、自らルールを設定し、おのれを賭けて大きなものに対して突っ張ることがドラマとなって立ち上がってくる。だからハードボイルドヒーローは基本的に人生をあきらめた中年男である必要があるのだと思う。そう言えば「1Q84」の主人公・青豆も、(女性だが)人生をあきらめた人物だ。「ユダヤ警官同盟」では、そんなハードボイルドの美学が、寄る辺無きユダヤ人の運命とも重ねあわされている。書いたように、日本人にとっては決して読みやすい作品ではないが、人生をあきらめかけている中年男女に薦めたい。結構来ますよ。
映画を見終わって4時。6時から川崎で仕事。急いでアテネフランセ文化センターを出て、御茶ノ水の駅に向かった。ふっと途中、駿河台の道を歩いていて思った。街路樹のプラタナスが風に揺れている。鳥たちのさえずりが聞える。
なーんて当然の事なんだけど、いい物に接した後って、日常に何かが付加されて輝いて見えることがある。その瞬間って、プルーストの言う「見出された時」や、小林秀雄『無常という事』の「思い出す事」に成るんだと思う。
はて、レナード・ベルタさんは、撮影監督です。ちなみに観た映画は、監督ストローブ・ユイレ(ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレの共同監督、ちなみに男と女。結婚はしてないのかな?)『アルテミスの膝』。20分ちょっとの短編です。
そんでもって、撮影がレナード・ベルタ。
ストローブ・ユイレ、ここ数年の作品、『労働者たち、農民たち』、『放蕩息子の帰還/辱められた人々』、『あの彼らの出会い』、『アルテミスの膝』は、ほとんど同じ作品。
明るい夏、シチリアの森での撮影。美しい木漏れ日。鳥のさえずり。川のせせらぎ。一塵の風と共に日が翳り、終焉する物語。
役者は、ほとんど素人(現地の農民役者をつかっているとかいないとか?)。ただ朗読もしくは暗誦しているだけ。ほとんどカメラは動かない。でも、延々と長い朗読の間にも、太陽は動いて、風は流れをかえる。そこがきちんと撮られてるんだよね。うーん美しい。
エリック・ロメールの『満月の夜』をみた、小津安二郎の撮影監督、厚田雄春さんが言ってた、
「あんまり立派なんで、終わりの方は耳ふさいで画ばっかりみてました。」(季刊 映画リュミエール 6 筑摩書房 所収 「恐れ入りました...ベルタさんのキャメラは完璧ですね 厚田雄春『満月の夜』を語る」)
分かるなあ、その気持ち。
ちなみに、『書かれた顔』(監督ダニエル・シュミット)で、坂東玉三郎、杉村春子、大野一雄を半ばドキュメンタリーで撮影したり。マストロヤンニの遺作、『世界の始まりへの旅』(監督、マノエル・デ・オリヴェイラ)も撮影してますよ。(岡田久早雄)
なかなかごっついエンタテインメントでした。 そう、インドというものを エンタテインメントにしたことがこの映画の一番の肝。
インドは欧米や日本の人にとっては「異文化」、しかし 気になる異文化だった。しかし、この映画の視点は、インドをあくまでもエンタテインメントの背景にしたこと。もちろん、インドでロケをし、インド人を使い、 色々インドの社会問題を取り上げ、観客(欧米や日本の人)にとってインド以外の何にも見えないようにしてある。事実インドに違いはないだろうが、でもそれはあくまでストーリーを盛り上げるための背景だ。別に異文化を理解しようという気持ちはない。もちろん、エンタテインメントにそんな必要もない。
ストーリーは、若い純粋な男女があらゆる障害を乗り越えて結ばれるまでを描いた純粋なラブストーリー。何せ、ラストシーンがファーストキスなのだから、いまどき欧米映画では描けないほどのピュアなロマンス。そこに、「クイズミリオネア」での全問正解を絡めている。問題の一つ一つがスラム出身の主人公の人生の場面に絡んできて、「どうして問題をクリアできたのか」が、人生の回想につながっていく。これは原作者(インドの外交官で、今度大阪総領事に赴任する人)の手柄だろうが、非常にうまい仕組み。
ラブストーリーも「クイズミリオネア」も、文化の壁を超えるもの。これを軸にして、後は異文化からエグくて受け入れにくいところを取り除き、話を盛り上げるスパイスにした。貧困や犯罪などの社会問題は若い二人が乗り越えるべき障害として描いた。
経済成長が続き、世界中の関心が高まっているインド。「ちょっとインドのことを知りたい」という世間の要望に巧みに答え、魅力的な回答を用意した形。行き届いたサービス精神に、見終わった後の満足感は大きい。監督以下関係者の頭の良さがしみじみと感じられる。そう、エンタテインメントとは結局、頭の良さを競うジャンルだと思う。
天安門事件からきょうでちょうど20年になる。
20年前、大学生の私は隣の国の学生たちが天安門広場で繰り広げている民主化運動を、毎日テレビで見ていた。自分と同じ世代の若者たちが、大きな目標を掲げ、闘い、政府首脳らと対峙している。胸がすく思いだった。
6月4日の朝、ニュースを見た。粗い映像。走る戦車。銃声と叫び声。何が起きたのか、全然わからない。でも全てが潰えたことははっきりとわかった。どうしたらいいのかわからなくなって、その日一日、飯を食わないことにした。ハンガーストライキだ。でも、夜中の11時半にふと馬鹿らしくなって、カップうどんを食べてしまった。もしこのとき、自分がうどんを食わなかったからといって、何がどうなるわけでもなかったことは確かだ。
それから2年後、私は報道機関に就職したが、その選択にも、どこかで天安門事件の幻影が作用していた。自分にも大きなものを相手取って何かができるんじゃないか、という、よくも悪くも気負った気分。結局そんなことはなくその会社を辞め、今ふと気づいてみれば、中国人の若者たちに日本語を教えている。ちょうどあの頃生まれた20歳前後の若者たちだ。彼らは屈託がなくて明るい。
天安門事件を巡る大きな「?」。
私はさんざん大回りして、そのクエスチョンマークのカーブをたどるような人生を歩んでいる気がする。ふだん、天安門事件のことなどろくに思い出しもしないのに、気づくとそうなのだ。
学生リーダーのウアルカイシ氏が中国当局に出頭したそうだ。中国に帰るための手段だそうだ。彼の考えることはよくわからないが、必死なのは伝わる。一方、女性リーダーとして有名だった柴玲(Chai Ling)はアメリカでソフトウェア会社を経営。
http://www.jenzabar.com/aboutus.aspx?id=80
言うまでもないが、プロフィールには天安門の「て」の字もない。 天安門事件を今も生きる人と、完全に過去にした人。
天安門事件40年後の中国はどうなっているだろうか。(友田)
村上春樹の新作「1Q84」を読んだ。どっかから書評の依頼が来るんじゃないかという期待があって、来なくて残念と思っていた(書評はもっと有名な評論家や作家のところに行ったようだ)けど、読んでみたら依頼が来なくてよかったという気持ちもある。結構微妙な作品だ。
ストーリーはまあまあ面白いと言っていいのかな。手に汗握るというほどじゃないが、上下巻を飽きずに最後まで読める。ハードボイルドタッチ。文章は読みやすいが、内容は決してわかりやすくない。そして、ところどころ「失われた」とか「力」とか、抽象的な言葉面だけで話が進んでいる気がするのがちょっと。ニューエイジっぽい疑似科学のにおいもある。少女と30男の性交も出てくるし、どうなんでしょう、これ。
ただ、それもどこまで本気かわかんないというか、全体がうまい具合に宙に浮いていて、解釈の自由があるから、真価が見極めにくい。一目見ていい小説という感じじゃないんだが、悪いとも言いがたい。いや、問題点は多いと思うけど、それも全部、無化されてくような。
私にとって村上春樹は高校時代から親しんだ青春の文学。友達と「あの店はおれたちの『ジェイズ・バー』(初期作品に出てくるバーの名前)だ」なんて言ってみたりね。今となっては恥ずかしいが、それだけに忘れがたい思い出。
しかし、今の村上春樹じゃ、なかなかそういうわけにも行くまい。60万部も出ているけど、どうなのかな。読んだ人は結構???だと思う。本当に判断が難しい本だ。(友田)
職場(日本語学校で教えてます)に回ってきたチケットで、日中韓芸術祭と言うのに行った。荻窪の杉並区立公会堂というでかい箱物が会場。
外交関係の催しみたいで、在東京の中国人と思しき人たちがいっぱい来ていた。司会者は日中友好の歌を歌ってるとかいう知らない演歌歌手。その人が政治家の祝電をいっぱい読み上げる。目玉の一つが和泉元やの狂言だが、ワイドシューに一時出ずっぱりだった母親(和泉節子)が出てきて、「最近誤解している人もいますが」という前置き付きで和泉流の正当性をまくし立てた。まったく政治が絡むところには、どうしてこんなにろくでもないやつばかり出入りするのか。ただ券で何も考えずに行った催しもので、ピンクの着物を着たセッチーの怪気炎を見せられるのだから、人生、油断も隙もありゃしない。帰ろうかと思ったが、まあ取りあえず狂言を見ていこうと思って見てみたら、これがよかった。
ふだん見たことがないものだから、出来不出来はわからない。言葉も半分くらいは聞き取れなかったが、単純な話だから、聞き取れなくても困らない。一つの話は、太郎冠者と次郎冠者が、主人に隠れて蔵の酒を飲んでしまうので、主人に縛られる。主人は二人を放置して出かけてしまう。で、二人は「お前が酒を飲むから縛られた」「いやお前が」「要するに、自業自得というわけじゃな」とか言って「ハアッハッハ」と笑うのだが、これには参った。縛られてるのに「ハアッハッハ」ってあんた。
「こんな風に書かなけくちゃいけなかったんだ。」と彼はつぶやいた。「おれの最近の作品は、みんなかさかさしすぎている。この小さな黄色い壁のように絵の具を幾つも積み上げて、文章(フレーズ)そのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ。」 マルセル・プルースト『失われた時を求めて 第五編 囚われの女』鈴木道彦訳
一応、作家の岡田です。そんでもって、上野の西洋美術館でフェルメールの「レースを編む女」を見てきました。
小さい絵です。代表作でもありません。更には、「美徳」を書いた絵です。
フェルメールの絵。「真珠」は虚栄。「ワイン」と「音楽」は媚薬。「手紙」は、秘められた憧れ。相手は、不倫。黄色は、「愛し合っているものと、娼婦に似合う色」。ほとんどの絵は「悪徳」で描かれています。うーん人間だよね。
それが完璧な遠近法の室内。窓から差し込むやさしい光。真珠の光の粒に映る室内。絹のドレスからは、衣擦れの音が聞えてくるようです。
ゆえに、「悪徳」が放つ悪臭は昇華され。不思議な落ち着きと、完成された世界。そう「世界」なんだよね。フェルメールって。
ただ「レースを編む女」は、「有能な女性の鑑」。つまり、フェルメールの絵では例外、つまんない方です。美徳のほうは、これと「牛乳を注ぐ女」位かな。とは言え、二人とも、娼婦の色、黄色い服を着てるけどもね。
でも、やっぱり「世界」を感じます。レンブラントの中期の自画像や、画家の中の画家ベラスケスの「王女マルガリータ」も確かに凄いけど。やっぱりフェルメールかな。
ちなみに、冒頭の引用、フェルメールのデルフトの風景」をパリで見たプルーストが、作中の作家ベルゴットに言わせる言葉です。通常「ベルゴットの死」とよばれる章で、プルーストが死の直前まで書き直していたと言われる箇所です。
でも、なんとなく分かります。ああ、また書き直そうと、僕の戯曲。
文芸部の友田といいます。せっかく場があるのだから、何か書いてみようと思う。
そのうちに主宰も記事を書くことと思うけれど、昨日次回公演「金の卵1970」の
脚本の研鑽用のリーディングがあった。キャスト予定の俳優の方々が参加。
色々と厳しい意見もいただき、作家の三浦実夫さん(主宰のお父上)を補佐する
我々文芸部としても、反省すべき点を多く感じた。
リーディング会の詳細は主宰の記事を待つとして、最近個人的にうれしかったことに
ついて書いてみたい。というのは、この数年で一番と言っていいぐらい、
本当に嬉しいことだったから。
若い頃、私は某社(報道関係)に在籍していたのだが、
最近そこからお仕事の依頼をもらったのです。月に一回、記事を書く仕事。
コネとかそういうんじゃない。もちろん古巣だから知人は多いけど、だからと言って
仕事をもらえるような甘い会社じゃない。その会社を離れて10年以上になる。
その間、アメリカに留学して経済学を勉強したり、小さな会社に勤めたり、
面白いと言えば面白かったが、迷いの多い30代だった。37歳のときに
評論の賞をもらって、時々依頼をもらっては書評とかを雑誌に書くように
なったけど、別にそれで暮らせるわけじゃない。
芽が出るとか出ないとか、何をもって言うのか知らないけれど、長期戦の覚悟が
出来た。仮に芽が出ないまま事故か何かで死んでも恨まない。お化けになって
出たりしない。結果ではなく、一つ一つの仕事を大事にする。まあ、そんなにきれい
にはいかないけど、気持ちだけは、せめて。
そんな矢先に仕事の依頼の電話をもらった。以前ある場所であって、名刺交換していた
人。私がその会社にいたころは知り合いではなかった人。そんな人が、私の仕事ぶりを
見ていてくれた。あるコーナーに欠員が出来たとき、私を使おうと思ってくれた。
それが何より嬉しい。
20代のころ、その会社の旗の下で働いた。何も分からず、周囲も見えず、必死だった。
不器用な自分に疲れ切って、新天地目指し、会社を去った。それから10年以上も経って、
今度は個人として仕事が出来る。昔いっしょにがんばった仲間たちと同じ紙面で、肩を並べて。
こんなことが起きるなら、年を取るのも悪くない。
初ブログ、G.com文芸部の岡田です。
私のお仕事は、「意地悪」です。
だからと言って、私が「意地悪」じゃあないですよ。
演劇には意地悪がイーッパイいます。
ムーア人アーロン、悪戯妖精パックに、三人の魔女、悪役イヤーゴ。父親を苛め抜くゴネリル、リーガン姉妹に、親を裏切るエドモンド。テンペストのプロスペローだって、よーく読むと相当意地悪ジジイだし。シェークスピアには意地悪が一杯。
やさしそうなチェーホフでさえ家をのっとる、浮気女のナターシャ(三人姉妹)がいます。
それにギリシャ悲劇は、「神さま」と言う名の意地悪ばっかり。(なぜか太陽神アポロンが多い。)
多分、演劇って意地悪なんだろうな。ずっと芝居を見続けた「悟り」だったりして。
でも、「悪」がないと、「善」も「美」も「真」も、光り輝かないんだよねえ。と心を鬼にして日々「意地悪」に精進しております。
今は、「金の卵1970」に頑張って意地悪してますんで、どうぞご期待の程を。
(ちなみに主宰の三浦がブログで、「三人姉妹」のマーシャを長女と書いていましたが、次女です。長女はオリガ。うーん、また意地悪してしまいました。ふふふ。)
このたび、G.com文芸部による、日誌が、開始、される予定です。
しばしお待ちを。