神に捧げる - 演劇ユニットG.com

神に捧げる

ダニエル・ハーディング指揮 ブルックナー交響曲第8番

地震から4ヶ月がたちました。今年は暑いと言うか、6月から猛暑が続き、7月に入って一段落も、なんとなくずっと暑い予感です。まあ原発の事故で、電力不足なわけで、とはいえ、日常的には、デパートとかの照明が暗いとか、一部企業での労働時間の変更とか、でもそうそう、一気にネクタイ族が居なくなりました、でも、この暑い日本でネクタイとか言うのがその本来からすれば可笑しい話なので、まあ本来に戻るべくして戻ったかなあと言う感じです。政治はダラダラと、被災地はまだまだ瓦礫の処理も3分の1程度とか、余震もタマーに、大きくて震度3かなあ。でも週に1から2回程度の東京ですなんて思ってたら、昨日は、マグニチュード7以上の余震。地震ってほんと長くって怖いんですね。

ブルックナーは、ロマン派後期の作曲家、クラシックで3Bって言うのがあって、BACH(バッハ)、BEETHOVEN(ベートーベン)、そしてもう一人なんですけど、これが好みによって、BRAHMS(ブラームス)か、BRUCKNER(ブルックナー)。
ただブルックナーは、通好みと言うか、耳に心地よいメロディーも無いし、やたら長い交響曲がメインの作曲家なんで、あんまり受けない、でもクラシックを聴き込んで行くと、やっぱり凄いんですね。おそらく誰もあんな曲は作れないし、なにか人間離れした巨大さを感じる。誰だったか忘れたんですけれど、ベートーベンの第九より優れているとか、ホンマかいな? ってずっと思ってたんですけれど、なるほど、あの巨大な人間離れ。それでいて人間の嗜好品、見世物、興業としてギリギリ成立してしまう所が凄い。

ただ、やっぱり聴けるのは、交響曲で言えば、7番から未完の9番かな。指揮者の故朝比奈隆さんが、2番か3番だかを評して、こんな退屈な曲を誰が聴くのか理解できない。とか、ブルックナーが自費で開いた、ウィーンフィルのコンサートで、最終的に観客が4~5人だったとか。まあその中にマーラーが居たとか。

もとは、教会のオルガン奏者であり、敬虔なカトリック。交響曲第8番は、ダンテの『神曲』をモチーフにした曲。また未完の9番は「神に捧げられた」曲だそうです。ただね、心地よい音楽とは遠い世界。前のブログでも書きましたけど、バッハの遺作『フーガの技法』も決して耳に心地よい音楽ではない、まして本当に、ぷつりと途切れてしまう。モーツァルトの未完の遺作『レクイエム』や、プッチーニの『トゥーランドット』は死後に弟子によって補完されているけれど、やっぱりバッハの『フーガの技法』は、誰も手のつけられない、遥かに遠く深い世界なんだと思う。
そして恐らく、バッハも音楽は神に捧げていた、でもそう考えると、「神」と言うのは、何かはるかに恐ろしいようなもののようにも思います。

ダニエル・ハーディングはイギリスの指揮者で、新日本フィルの常任指揮者に就任して、その初めのコンサートが3/11、例の地震の日、朝日新聞等でも記事になっていましたが、当日は、地震にもかかわらずマーラーの5番を指揮、自転車や徒歩で駆けつけた聴衆を前に公演したとか。
その後も、5月には自前のマーラーチェンバーオーケストラと来日しました。

クラシックファンなら知ってると思うんですけど、ハーディングは早熟の指揮者。現ベルリンフィルの音楽監督サイモン・ラトルの元で、当時のバーミンガム市響でデビュー、20前半でベルリンフィルを指揮しました。日本には、エクサン・プロヴァンス音楽祭の引越し公演で、ピーターブルック演出のモーツァルト『ドン・ジョバンニ』でデビュー、確か、26歳だったかな。ピーター・ブルックの演出と言う事で、当時、オーチャードホールに行って、変わった指揮をするなーって印象でした。
『ドン・ジョバンニ』と言えば、1942年録音のブルーノ・ワルター指揮のメトロポリタンの録音が一番。でも、そのワルターでさえ、30代になってやっとモーツァルトの素晴らしさに目覚めたとか。まあ、20代じゃ、あの音楽の深さはねええと思いつつ、その後も、マーラーチェンバーオーケストラで来日の時には、曲を選んで行っていたんですけれど、ここ2~3年は、まあ早熟な天才と言われている人にありがちな、ちょっと低迷の時期という感じもあってご無沙汰してました。

まあ、偶然なんですけど、蕎麦屋の店長が、そのハーディングの情報見っけてきて、でもなあ、マーラーチェンバーとなら兎も角、新日本フィルとではなあ? 以前、東京フィルとのマーラーを聞いたときも、まあ今一つですね。手勢のマーラーチェンバーならビシっと行くところも、客演となるとそうはいかない。まあそんなこんなで、新日フィルとの共演、ましてや難曲のブルックナー、ううん・・・。と思っていたら、朝日新聞に招待の抽選があって、駄目元で送ったら当選しました。コンサート、久しぶりかも。

ただねえ、巨大なブルックナーの巨大な交響曲第8番。まして新日本フィルと言うのは、ブルックナーやベートーベンでは世界的に認められた朝比奈隆さんとずっと仕事をしてきたオーケストラ。でもね、聴けましたよ。なんて言うと偉そうですが。確かに全編満足の行く出来かどうかは別として、巨大なものに怯まずにまっすぐと、素直に臆せずと言う表現者の、もっとも根本的な部分が、スーってこちらに伝わってきて、でもやっぱり朝比奈隆の影響ってのは凄いなあって感じもして、まあそりゃあ93歳で死ぬまで現役だった指揮者に30半ばの指揮者が適うはずもないし。だったら気負わずに、まっすぐに、でもそれが難しいのが30代のような気もして、でもだから、返って気持ちの良い演奏でした。ただ、これは不謹慎ないい方になるかもしれないが、ブルックナーの音楽の波は、やはり地震のように押し寄せるんですね、まるで、それをなんとか、ハーディングは小柄で、童顔なんで、そんな小さな人間が臆さず、怯まずに御していく。

ちょっと思ったんですわ。プラトンの『国家』の冒頭あたりに、神々を非難する言葉があるんですね。ギリシャの神々、ギリシャ悲劇を見れば分かるように、オイディプスには父殺しを、オレステスには母殺しを、そんなことを命じる神々は否定しましょう。それで人間の「国家」の話をしましょうと言う下りがある。「神」と言うのは、巨大で制御が効かず、大自然がそうであるように、人間に牙を剥いては玩ぶ。でもだから、その恐怖を知った上で、それでも尊敬もしつつ制御し、敵とし、戦っていく。ごつごつとして大地のように空恐ろしい巨大な老木の幹のように、人を近寄せず、それでして凛として、沈黙の内に力強い生命の伊吹を湛えつづけながらも、老いた悪臭を放つような醜さをも堂々として露呈する。

何か、そんな力強さを感じるブルックナーでした。

秋に、ベルリンフィルが来るんですね。サイモン・ラトルの指揮で、それこそ、神に捧げられた、ブルックナーの9番をやります。チケット郵送による先行予約A席、3万5千円は高いけど。買っちゃた。