一週間がすぎました。 - 演劇ユニットG.com

一週間がすぎました。

何となく落ち着きが。岡田

昨日は、計画停電がありました。美濃戸のお蕎麦屋さん、どうせ来ないだろう、だって、市役所もあるし、みたいな感じで、懐中電灯とロウソクは用意していたものの店は閉めずにいました。

開始時刻は18時30分。時計を気にしながら営業。30分を過ぎました。電気は来ています。ああ、これは中止だなあ。と気を抜いて、と実は、中止になると、その後にどっとお客さんが来たりするんで、その前にトイレ、トイレとトイレの中。バチッって音がしてトイレの中で真っ暗です。

「あああ、来ちゃた。」と。

実は、ビルって、非常用電源があるらしく、各階、一つくらいは電灯が点いていて、真っ暗ではないんで、なんとか無事トイレから脱出。お客さんにロウソクを持って行って、営業を継続できない旨を、一応お断りして、お会計も、レジが駄目なんで、金庫から直接。とは言え、水道も、ガスも来てたんで、後片付けをして、どうせ、3時間もすれば、また電気が来るんで、ガスコンロの火で温まりながら、ロウソクの火でビールを飲んでました。

向かいのビルのセブンイレブンが、ビルの非常電源で営業を継続中。頑張るねえ。駅ビルの近くの高いビルの屋上は、多分、発電機があるのかなあ? 煌煌と明かりが点いて営業中。

停電中は、お巡りさんが、頻繁にパトロールしていましたが、たいした混乱もなく、電気が点きました。でも、本当に、都市と言うか、町って明るいんですねえ。こんなに電気も必要なのかなあ? とかも思います。

「月日かさなり、年経にし後は、言葉にかけて言いいづる人だになし」方丈記

鴨長明の『方丈記』にちょうど大地震の記述があって、その章は、上記の言葉で閉められています。

本当に、被災された方のご心労、現地の方の御苦労には、言葉もありませんが、徐々に落ち着けば、忘却にさらされます。

「忘れる」と言う事も重要な事とは思います。だって、乗り越えるにも「忘却」が必要。でも、その「忘れる」さきに、何か本当に重要なものが残って行くんだと思う。

もちろん、それはトラウマと言う恐ろしい恐怖なのかもしれない、かってな憶測で、それが希望的なもの、創造的なものと思うのは、真実から遠い。ただ、そこで残ったものが重要な何かだと言う認識、そしてそれを真摯に受け止める態度が必要なんだと思います。