内在する人間性、その存在について。 - 演劇ユニットG.com

内在する人間性、その存在について。

『フーガの技法』グールドのオルガン録音 岡田

『フーガの技法』ネットでいろいろ見ていたら、グレン・グールドが録音していました。それもオルガンです。

グールドについては、ことさら書く必要はないかな。やっぱり、最も有名なピアニスト。でも好きじゃないんだよねグールドって、と言う事で、グールドのCDは一枚も持ってません。でも、今回、『フーガの技法』で、いろいろ調べてたら、グールドの録音を発見。偶然、大森の中古CD屋さんに行ったら、これも偶然に発見。即、購入。まあ、好きではないですけれど、やっぱり天才ですね。
ただ、やっぱり馬が合わないのか、ねえ?。ネットでいろいろと調べていると、実は、私が購入した版とは違う版があるらしい。

ちなみにグールドは、62年にオルガン録音があり、その他に67年や81年にもピアノで単独に何曲か録音した音源がある。私が買ったCDには、ピアノ演奏が入っていない。うーん、どうしよう。やっぱり聞きたい。よくよく調べたら、ブラームスの間奏曲とかとカップリングされた輸入版がある。「よーし、」と言う事で、久し振りに渋谷のタワーレコードへ行きました。そんでもって購入。

ただ、やっぱり、個人的に言うと、62年のオルガン録音のほうが良いかなあ。

ピアノと言うのは、個人的な、故に自己陶酔型の楽器だと思う。グールドはまさに、その自己陶酔の極致みたいな演奏家。果てには31歳(1964年)で観客の前での演奏を拒絶。その後はスタジオ録音のみ。このことに関しては、いろいろ諸説や意見があると思うんですけれど。「音楽」という表現(特にクラシック音楽)が、バッハで産声をあげ、生成流転した、その果てに生まれて来たのがグールドのような天才なのだと思う。ただ、それはまさしく黄昏の、最後の輝きであり、その純粋さが、陶酔したピアノとして生まれたんだと思う。

ピアノ録音は、陶酔し過ぎかなあ。演奏としては素晴らしいのだけれど、もっと深い所で人間性とかけ離れていかざるをえない「芸術」の行き過ぎかなあ、そんな感じがする。

芸術と言うと、偉そうだけれども、所詮「見世物」に過ぎない。そこから離れると、やはり人間以外の何かになって行く。それを最後に、世界と言う人間と結び付けるのが「観客」と言う、巨大で、わがままで、故に真実な存在なのかもしれない。