自由であること、 - 演劇ユニットG.com

自由であること、

ポロックの事とか考えている訳ですけれど、岡田

前回のブログで、ポロックの事を書いていて、水墨画の「たらしこみ」の技法とか、アクション・ペインティングとか考えていて浮かんできたんです。「たらしこみ」は、水のにじみの技法です。宗達が有名だけれど、ポロックの抽象性は、長谷川等伯の松竹図屏風。近くでよーく見ると、筆の素材具合とかで描いてある、そういう所は似ている気がする。

精神の極め方から言えば、ポロックの絵とかは水墨画に近いんだと思う。ただ、水墨画にしろ、ヨーロッパの宮廷画家にしろ、ポロックとの大きな違いは「自由」だったんじゃないかなあ。
去年の正月に、国立博物館で雪舟の『秋冬山水図』を見た時、表現への情熱としてはピカソが浮かんできた。ただ、どうしてもピカソって芸術家としては不幸だったんじゃないかなあって思うんです。
代表作は『ゲルニカ』。1937年、当時のフランコ政権の、バスクのゲルニカへの無差別爆撃に対しての怒りが描かせた絵。ただ、ピカソはゲルニカへは行っていません。あの絵に見られるモチーフ、死んだ赤ん坊を抱く母親や、暴れる馬等は、当時の新聞の報道写真のようです。もちろん描いたのはパリ。それであれだけ真に迫った衝撃を表現できるんですから天才です。でも、それで良いのかなあ?

ピカソは晩年、画家の中の画家ベラスケスの『侍女たち』をモチーフにした連作とかも描いている。でも宮廷画家ベラスケスは宮廷画家として、個人的には不自由だったんだと思う。当時、外交使節として来た画家ルーベンス(※)の勧めでイタリアへ行き、虜になったベラスケスは帰国を日一日と伸ばす。しかし、国王フェリペ4世の懇願で嫌々帰国し、その後に『侍女たち』などの後期の大作を描いている。

イタリアへ行った人なら分かると思うけど、離れたくないよねえイタリア。でも、まあ生きて働いて行く為にはそうもいかない。嫌だけれども社会と言う不自由の中で、地道に創造していく。その受難(PASSION)、苦しみ(PAIN)、忍耐(PATIENT)が結実し、だから後世に残る何かも生まれてくる。
そう言う意味で、代表作が『ゲルニカ』になってしまうピカソは、自由が、生前の名声が、更なる才能の開花を妨げてしまったような気もする。あの山のような作品に費やされたエネルギーが、もし一つの作品になっていたら・・・。

ポロックもね、自由や名声が、どうも邪魔をしてしまったんじゃあ無いかなあ。作品の持つ、あの異様な精神の集中力が、もしもっと強い枷(かせ)によって、スタイルとして具現化していたら、悲劇のような最期では無く、何か作品としての軌跡が生まれていたような気もする。

長谷川等伯は、狩野派のように長谷川派としての名声に賭けていたようで、でも、長男が死に、その夢は消えてしまう、でも晩年の等伯は家康の呼び出しで江戸に向かう途中で発病し、江戸で亡くなっている。徳川家の御用画家としての位置への執着のようなものも感じられる。表現と言うのは、全く自由であっても、その表現の飛躍に対しては、足かせになってしまう事もあるのだと思う。ポロックは、個人的にも、また社会の許容としても自由過ぎたのかなあ。これは、その人の資質にも関わってくるから仕様が無いけれども、やっぱり「幸せ」って難しいなあ。

※当時の画家は、外交も兼ねていたようです。ちなみに、ダ・ビンチがフィレンツェからミラノへ行ったのは、メディチ家の外交使節として、それも音楽の演奏家として派遣されたようです。