バッハ - 演劇ユニットG.com

バッハ

フーガの技法。岡田

先日、バッハに関してちょっとテレビで、講義みたいなもんをやっていたんですわ。つまり、対位法、カノン、フーガとかの音楽技法についてを分かりやすくです。そんでもって、バッハの最後の作品は、未完ながら『フーガの技法』です。

まあ乱暴に、かつ簡単に、つまり幼稚に言えば、「同じものを違って提示する技法」ですかね。クラシック音楽の底流に流れる法則は。

フーガ、はイタリア語では「逃走」と言う意味だとか、あるメロディーを追い懸けるように、同じメロディーが複雑に、かつ統一性を持って提示される、それが音楽として「統一」されて聞こえる技法。バッハの最晩年、失明したなかで、書き継がれたのが『フーガの技法』。具体的な楽器の指定もなし。

ちなみに、カノンは、基準、法律、聖典と言う意味。フーガとカノンの違うところは、後続部が先行部に対して厳密に模倣しているか否か。フーガは対位法の原則に従ってある程度自由に展開できるようです。それに対して、基準のカノンは、同じ旋律を機械的に変形させ後続部とし、この厳密さが途切れるは厳重に禁止されているそうです。

キリスト教では中世以来、聖書をカノン(聖典)と呼ぶとか、美術で「理想的な調和のとれた人体比例は八等(頭)身であるとされ、それは八等身のカノン」と言うとか。

フーガ(逃走、遁走)。モーツァルトの最後の交響曲41番の最後、第4楽章もフーガ。ブラームスの最後の交響曲4番の第4楽章もフーガ。ベートーベン第9、第4楽章の二重フーガ。弦楽四重奏曲に「大フーガ」ってのもありますけれど。

バッハ『フーガの技法』、ヘルマン・シェルヘン指揮、ルガノ放送o(RTSI)1965年5月14日ルガノ・テアトロ・アポロ

指揮者は、Hermann Scherchen(1891―1966)↓こんな人
「ドイツの指揮者。ベルリン生まれ。音楽を独習、ベルリン・フィルハーモニーのビオラ奏者を短期間務めたのち、1914年リガ交響楽団指揮者となる。シェーンベルクと親しく、現代音楽を積極的に紹介するため、新音楽協会、雑誌『メロス』、シェルヘン弦楽四重奏団を創立、活発な活動で注目された。33年スイスに移住、チューリヒを本拠に現代音楽推進の運動を生涯続けた。バロックから現代音楽まで広いレパートリーをもち、劇的効果を重んずる。」

そのシェルヘンが、38年かけてオーケストラ用に編曲しての初演が、ルガノでの録音らしいです。シェルヘンは翌年、指揮中に倒れて死去とか。

シェルヘンと言うと、怪演とか爆演とかで有名な、ちょっとキワモノっぽい指揮者。でもバッハに関しては何故かシェルヘンなんですよねえ。個人的な好みですけれど。
このCD、ずっと前に購入して、折々に聞いてたんですけれど、バッハの最後の楽曲と言うのを再認識して聞いてます。

でもフーガ、なんでフーガなのかなあ? 音楽技法に、もっと詳しいといろいろと書けそうな気もするんですけれど、なんかそれも違う気もする。もやもやしてて、でも、バッハのこの世界で始まって、この世界が完成体として、その後にモーツァルトが人間を持ち込んで行ったと言う気もする。モーツァルト交響曲41番、第4楽章も、立ち上がろうとしても立ち上がれない「もがき」のようなものが強く感じられる。ベートーベンの第九にしても、やっぱり人間の世界。

それに比べると『フーガの技法』の世界、そのままとして存在するのは、それが一つの表現では無くて「方法」だからなのかなあ? 方法に達する厳しさが、そのまま結晶化したような音楽の世界がバッハだけれども、それだけでは人間は許容しないだろう、それは単なる神の御遊びに過ぎない。厳しさが、厳しさと同時に、喜びをそこに含んで、生が、ふっと永遠を一瞬感じたような、その記憶。その記憶に行きつく一瞬の中に展開している、心のなかの構造。それを具体的な形にしたとき、楽譜が生れたのかなあ。