小津安二郎『秋刀魚の味』 - 演劇ユニットG.com

小津安二郎『秋刀魚の味』

ゴダールの書簡に小津安二郎監督の肖像写真が同封されていたとか。岡田

朝日新聞に蓮實さんが書いてました。『ソシアリスム』がカンヌで上映された時、ゴダールは欠席だったそうです。それで、その欠席通知の書簡には小津安二郎監督の肖像写真が同封されていたそうです。何故、小津?って感じもしたんですけど。

まあ、そんな事で見に行った訳でもないんですけれど、神保町シアター、小津の特集です。

『秋刀魚の味』
S37('62)/松竹大船/カラー/スタンダード/1時間53分
監督:小津安二郎  脚本:野田高梧、小津安二郎  撮影:厚田雄春
出演:笠智衆、岩下志麻、佐田啓二、岡田茉莉子、東野英治郎、岸田今日子
娘を嫁がせる初老の男の物語を、例のごとく豪華俳優陣の華麗なアンサンブルで描く。いつになく老いの孤独が強調され、終幕の寂寞とした余韻が胸に迫る。遺作。

『ソシアリスム』のパンフレットに映画監督、作家の青山真治さんが書いてました。

「ここにはいつにもまして何の変哲もないごく普通の映像と音響があるだけなのだ。けれど、どうしても驚嘆せざるを得ない作品がそこから現れ、いつものように口から言葉を奪い、中空に消え去っていく。だから、いつものように、いや、いつも以上に何度も、繰り返し見る。この、いつものように新しいゴダールを。」

小津の映画にも多いんですよね。「何の変哲もないごく普通の映像と音響」。

日本映画全盛期の作品なんで、なんとなく説明はついたりするんですけれど。例えば、『秋刀魚の味』の冒頭、煙突の立ち並ぶ工場地帯、もくもくと上がる煙。まあ、60年代前半なんで高度経済成長初期の象徴とか。
場末のラーメン屋の親父の東野英治郎、娘と二人きりで嫁にもやらずに失敗したと愚痴をこぼす。初老の笠智衆が、それを見て身に沁みるとか。

でもですよ、例えばヒッチコック映画の小道具のように、ストーリーにとって絶対必要な要素にも見えない。

ゴダールは『映画史 4A 宇宙のコントロール』の章で
「ヒッチコックはナポレオンもヒトラーさえも成し得なかった“宇宙のコントロール”を実現した」
と言っています。ヒッチコックの映画は、全く無駄がないと言う意味で、監督によって全てがコントロールされた世界。まあでも、ヒッチコックは、「たかが映画じゃないか。」と呟くだろうなあ。

まあ、小津やゴダールの映画はそう言う意味では正反対。小津映画のある特徴とは、工場地帯の煙突のもつ立体感や、構図の妙にあるんじゃないだろうか。場末のラーメン屋でも、その前に挿入される積み上げられたドラム缶の存在感とかが迫ってくるように思うし。東野英治郎の、鱧を食べながら「魚へんに豊と書いて、鱧」と呟く酔っ払いのシーンからも、酒を飲んだ人間の生の生態が生き生きと伝わってくる。

現実の世界にもある、でも、ちょっと不思議で興味を引くシーンや細かい所に現れる人間の、より人間として不思議な生態を、まさしくそのまま再表現するって事は、一見簡単なようで、実は相当に困難な作業ではないだろうか。
ましてや、そう言うシーンと言うのは、恐らく理解されない、小津の映画とは、実はほとんど無駄とも言えるシーンの積み重ねのようにも見える。でもそのギリギリの所でなにかがフッと出現している。

ゴダールの『ソシアリスム』でも、ただ撮っただけの、豪華客船ゴールデンアロー号の船上での人間の生態とは、不思議に小津の世界とも親和力があるのかなとも思う。

ちなみに小津のカメラはフィックス、動きません。『ソシアリスム』もフィックス。ただ、一箇所だけズームがあるだけ。ゴダールは、インタビューで、「フィックス・ショットだけなのは?」と言う問に、「顕微鏡を見るときの化学者はトラベリング(移動)なんかしない。」(パンフレットより)と答えてます。

恐らく、真の芸術家にとってもっとも必要なのは、その観察の態度じゃあないかなあ。作品の出来とか、「美」とか、思想とか、そんなことよりも、人間を、世界を、じっとただ見つめること。そして、真実に実直に表現する事。そこからやっと何かが始まるような気もします。