誠実であること、絶対に誠実であること。 - 演劇ユニットG.com

誠実であること、絶対に誠実であること。

モーツァルト『魔笛』岡田

モーツァルトの『魔笛』(ブルーノ・ワルター指揮 1956年メトロポリタン歌劇場での実況録音)。

『魔笛』って実は、どこが面白いんだろうって、ずーっと思ってたんです。『フィガロの結婚』や『ドン・ジョバンニ』が傑作と言うのは、聞いたことがある人なら、それは分かること。でも『魔笛』かあ?

実は、『魔笛』ってオペラはオペラとしての要素は弱いんですね。シガネータと言う、当時の興行士が作ったような音楽劇。だから、どうしても宮廷とかの依頼でのフィガロ、ドン・ジョバンニのような華やかさ、オペラとして醍醐味には欠けてしまう。特にラストは、「ええ、それで終わり?」みたいな感じだし、全体的にも、そんな点が随分とある。

でも、なんか、この所じっくり聞いてます。なんでだろう、そう言うお年頃なのかな。私も。

良く聞いていると個々のアリアと言うか音楽と言うか、「音」かなあ。それに全く嘘がないんですね。もちろん、『魔笛』ってのは歌芝居。内容は、陳腐と言うかいい加減。パパゲーノなんて、いい加減な鳥刺しの若者だし。でも、そのパパゲーノのアリア「女の子、恋人が欲しい」って言う、それだけの内容なんだけど、全く嘘がない。その「思い」に対するかなしいまでの純粋さで、モーツァルトは音楽を創っている。

ミロス・フォアマン監督の映画『アマデウス』のモーツァルトは、しょうしょうやんちゃ過ぎると批評されているそうだが、でもほんとはあんなんだったんじゃあないかなあ。でもなきゃ、フィガロのような楽しさや、魔笛のような純真さは生まれないと思う。

ただ、モーツァルトの音楽には、穢れがない。それは純粋に誠実で、絶対に誠実な何かから、恐ろしい苦しみを超えて生まれたものだと思う。誠実であること、まさに誠実な、そのことが作品に、一瞬でも現れれば、それが作品の命になっていく。

でも誠実に成るって事は、一見簡単のようで、自分が誠実であると思っている内は、それは傲慢でしかなかったりもする。でもそれでも誠実に、誠実に。

だってそうしないと地獄に落ちるんだよ。