ストローブ=ユイレ Straub-Huillet - 演劇ユニットG.com

ストローブ=ユイレ Straub-Huillet

見てきました。岡田です。

アテネ・フランセ文化センターでの上映。久し振りに、一日3本はきつかったかなあ。そんなに長い映画では無いけれど、精神的な意味で、厳密な映画。疲れたー。

ちなみに、この文章の末に、アテネ・フランセの、監督のストローブ=ユイレと、映画の解説があったんで載せておきました。

『黒い罪』『セザンヌ』『アンチゴネー』と3本立て、『黒い罪』『アンチゴネー』は2回目、『セザンヌ』は、多分4~5回は見てるかな。

ウィキペディアで見てたら、こんな解説があった。

「ストローブ=ユイレの作品は難解さをもって知られ前衛作家と称されることが少なくないが、その画面構成やカメラワークには前衛的な要素は極めて少ない。
しかし、映画に対する姿勢、すなわち映画表現というものに対する峻厳さと非妥協性は他
に較べるものがないほどであり、こういった観点から見ればストローブ=ユイレは絶対的な孤高の地点に立つ最前衛の作家だと言える。これに対峙できる作家と言えば、映画制作の手法自体は大きく異なるとはいうものの只一人ゴダールがいるだけだろう。」

ただ峻厳にすぎ、妥協の無さは「遊び」の無さにも繋がってしまう気もする。そう言う意味ではゴダールはまだ十分に遊びの要素、つまり娯楽に溢れている。

毎回、40~50名の客が入っていたが、みんな映画関係者って感じがした。クリエイトの側の人には、非常に刺激になる。ただ、それ以外の人には苦痛だけかなあ。なんて書くと、この前の『千羽鶴』の公演の感想と似てくる気もする。


チラシで知ったんだけど、ゴダールの新作も12月に公開されるみたい。新作『ゴダール・ソシアリスム』。なんだか、話の内容は、オリベイラの『永遠の語らい』みたいな気もするが、ゴダールも80歳ですねえ。

でも、表現って言う奴は難しいものですねえ。

個々の映画の感想は、また書きまーす。なんせ疲れた、体調も悪くなった、そのパワーは凄いなあ。


以下、チラシからの引用です。

ストローブ=ユイレ Straub-Huillet
ジャン=マリー・ストローブ(1933- )とダニエル・ユイレ(1936‐2006)は40年以上に
わたって共同で挑発的な映画を作ってきた。ロレーヌ地方メス出身のストローブは、徴兵忌避のため58年に西ドイツに亡命、さらに69年にローマに生活・活動拠点を移した。彼らの作品の大半は先行する文芸作品に基づくが、その原典の本文の扱いは厳密で、叙述内容の伝達を効率化する改変は避けられる傾向にある。高度に文学的なドイツ語、フランス語、イタリア語の3か国語を用いて作られる彼らの映画は、その音声言語の含蓄、音楽的抑揚に重きをおいており、その厳密な画面構図と時間構成、計算された身ぶりと廃棄しえない偶発性の弁証法は、映画表現の革命的な潜勢力を示唆している。


『黒い罪』
Schwarze Sünde
1988年(40分)
撮影/ウィリアム・ルプシャンスキ
ヘルダーリンの「エンペドクレスの死」の1820年執筆の第三稿の映画化。ストローブ=ユ
イレはこの第三稿は映画化不可能と考えていたが、ベルリン・ シャウビューネ劇団による舞台脚色版に不満を覚え、原作に忠実な映画化を決意した。

『セザンヌ』
Cézanne
1989年(51分)
撮影/アンリ・アルカン
詩人ジョアシャン・ガスケの著作「セザンヌ」に含まれるセザンヌの発言の朗読に重ねて、
セザンヌゆかりの土地やセザンヌの絵が映し出される。ジャン・ルノワール監督の『ボヴァリー夫人』の抜粋と共に『エンペドクレスの死』からの二つの抜粋の挿入もある。

『アンティゴネー』
Die Antigone des Sophokles nach der Hölderlinschen Übertragung für die Bühne
bearbeitet von Brecht 1948
1991年-92年(100分)
撮影/ウィリアム・ルプシャンスキ
ベルリン・シャウビューネ劇団の委嘱による舞台演出に基づく映画。ソポクレスの悲劇「
アンティゴネー」をヘルダーリンが特異な方法でドイツ語に翻訳、それを基に1948年にブレヒトが改訂した版を古代円形劇場で様式的に映画化している。