G.comプロデュース公演 Vol.1 「千羽鶴」 - 演劇ユニットG.com

G.comプロデュース公演 Vol.1 「千羽鶴」

G.comプロデュース公演 Vol.1 「千羽鶴」
@COREDO THEATER(乃木坂)にて、本日19時、初日です。

と言う訳で、私こと、岡田久早雄のデビュー作と言う訳で、宜しくお願いします。
でも、43歳にもなって、不思議な感じでやんす。そんな雑感を少々……

なんだかなあ? とかも思うんですけど。長大な書物。読みたいと思いつつ読めなかった本て言うのはあるもんで、それが実は『源氏物語』とカント『純粋理性批判』(以下、「純理」)だったんですよね。
それが、ちょうどこの公演で、何故か読む羽目に、と言うか。源氏は、まあ分かる、「千羽鶴」の下敷きみたいなところはあるしね。でもまさか「純理」を読むとはねえ。この前、やっと一読。難解な哲学書なんで、まだ、はっきりとはしてないんですけど、ぼんやりぼんやり、巨大な山岳のような物がデーンて感じで、横たわってるって感じ。

実は、カントとモーツァルトは同時代人。18世紀、大ドイツの北ではカントが純理を書き、南、ハプスブルグ家のウィーンではモーツァルトが「フィガロの結婚」や「ドン・ジョバンニ」を作曲していた。うーん、凄いなあ。でもそんな時代だったんだろうねえ。そう思う。カントの純理の一般的な意味と言うのは、ガリレイやニュートンによって打ち建てられた「自然学=科学」の、思想・哲学的な基礎付けにある。アインシュタインが相対性理論で、乗り越えたのは、カント=ニュートン的な、理想化された時間と空間の位置づけ。

でも、私たち人間が、長年巨大な自然を敵として都市化を進め、その果てにやっと、全体を包み込んでくれる巨大な保護膜として理想的な「空間」を、そして規則正しく、人間を運んでくれる「時間」を打ち建てる。カントの本の前向きな感覚は、その高揚感と幸福が全編に現れてるところにあるのかなあ。

ハイデッガーの、カント講義録(ハイデッガー全集41 『物への問い』)によると、ゲーテは、カントの純理を開くと、明るい部屋に入って行くような幸福感を味わったそうである。あの難解で、ゴチャゴチャした厳格な本のどこにそんな、とかも思ってたんだけど。読みとおしてみると、何となくわかる気もする。

カントは後に「永遠平和の為に」とかも書いてます。でも、「平和」って声高に言うと何となく胡散臭い。でも、純理を読んでると、ほんと人間は幸福を追求していく、そしてそれゆえに、闘争や争い、戦争をも抱え込む、でも、やっぱり平和に満ちた社会があってこそ、自由に幸福を求め続ける事が出来る、だからその為に、万人が万人とも平和でなくてはいけないんだ!って考え方が、痛々しいほど伝わってきた。

なんかねえ。『千羽鶴』からカントに行くとは思わなんだけれど、それが一番の収穫だったりして。でも、公演『千羽鶴』、出てくる人間は、みんなみんな戦ってますよ。幸福に成る為に。苦しんで苦しんでね。でも、やっぱ苦しみがないと喜びも少ない気もする。そんな事も考えて貰えたらなあ、なんてね。

そんでは、改めまして、宜しくお願いします。

本日、19時、初日の幕を開けます。公演「千羽鶴」宜しくお願い致しますです。