はなされた言葉の優位 - 演劇ユニットG.com

はなされた言葉の優位

「失われた時を求めて」、「源氏物語」
岡田どんす。

なんとなく久し振りだったりして。いやあ、本の書き直しでした。ちょうど偶然にも、ホームページ、リニューアル。(香織ちゃん、御苦労さまでした。)ちょうどいいやと、さぼったわけでもないけれど、間が開きました。

でも、18日に、次回公演『千羽鶴』の本読みがあって、まあ、ダメだった訳で、大幅な書き直し。先週は、毎日、早朝、2時間、ずっと書いとりました。まあそれでも、そう言う時の方が、脳が活性化しているせいもあって、読書も、ジムの筋トレも捗ったりして。


まあ、今の演劇界には珍しく、吾は、文学・哲学のほうから演劇に近づいたもんで、困った時には、そこに戻っていきます。今回も、困った時の文学だより。演劇なんで、ソフォクレスやエウリピデス、シェークスピアは、勿論だったんですけど。プルーストと紫式部、今回は、この二人で感謝でした。
源氏は、ウエィリー版ですけどね。実は、川端先生、会ってたんですね。戦後のヨーロッパで。
まあ、その話は置くとして。

アーサー・ウエイリーも、二作品の共通性は感じていたようです。ただ、そんなもの、つまり、評論的・文学的な意味で共通部分に言及しても意味はないだろうってことは書いてました。それは、同意見。

ただ、思ったんですよ。本来、源氏は、読み聞かせの為の「書き物」だったと思うんです。つまり、平安時代、姫の養育係だった女房たちが、読んで聞かせる為の「書き物」。
つまり、「声に出して」読む為の書物。

「失われた時を求めて」は、19世紀末から20世紀初頭のフランスでマルセル・プルーストが書いた長編小説。でも、体が弱く、特に晩年は、ほとんど、口述筆記で書いた。作中の家政婦フランソワーズのモデルにもなった、セレスト・アルバレが、プルーストが口から発する言葉を書きとった。

と言う事は、この二作品の共通項は、「話された言葉」にあるんじゃないかなあ。なんてね。「話し言葉」、「書き言葉」。違うって言うんだけれど、ずっと、「おんなじじゃあねえの?」なんて思ってました。でも、最近。やっぱり違うのかなあ。なんて事も思います。


だから、「演劇」なのかなあ?