この通り、この通り
と言って、正月に髑髏を見せて歩き回ったのは一休禅師。
岡田です。
岡田です。
年末は、川崎のチネチッタでワインを飲んでました。目の前の広場ではイベント。屋台に立ち飲み。12時には花火。と目出度い目出度いお正月。スプマンテ一杯無料で貰えたりもします。
いやあ、でもでも。よくよく考えてみれば。「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」ですよね。
とは言え、みんなお祭り気分なんですよ。
そんななか、一休さんは、杖に髑髏を括り付け、「このとおり、このとおり!」かあ。
できるだろうか? さて自分に? 有名な話だし、昔から知ってはいたけれど.
今年、年明け直後に、やっぱりそれって凄いよなあ。なんて思いました。
もちろん真実なんで、どうどうとしてりゃあ確かにできる事なんだろうけれど、いざ、じゃあ自分の身に当てはめて「出来ますか?」って話しになると、やっぱり無理かな。
まあ確かに、嫌なやつだったのかもしれない、みんなが浮かれてるときに、如何に真実とは言え、そう言うのは確かに異常です。
でも「真実」ってやつは、本当は誰も知りたがってはいないのかもしれない。陳腐なテレビや漫画では、金科玉条のように「真実」=「素晴らしい」みたいな構図があるけど、「真実」って言う世界は、本当は魔の世界。なんかなあ?
一休さんには、こういう言葉もあります。
「仏界入りやすく、魔界入りがたし」
川端康成がこのんで、よく揮毫した言葉。

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