またまた牧谿「煙寺晩鐘図」だよ。 - 演劇ユニットG.com

またまた牧谿「煙寺晩鐘図」だよ。

3回行って、最後に見た時に、ふっと気付いた。
岡田

見てから、フランス大使館まで歩いたんだけどね。根本的にミーハーなもんで、白金のフランス・レストラン「カンテサンス」の場所をチェック。
ミシュラン三ツ星で、超有名になっちゃったけど、そのちょい前から、行って見たいと思ってたんだよね。

岸元シェフ。当時は形而上学的な料理とか言われてた。
まあ、当分は行けんだろうな。ディナーコース1万6千位だけど、ワインが怖い。ワインリストもそうとう豊からしい。食後にポート、いやソーテルヌとか飲んだ日にゃ。うーん幾らになるんだろう。我慢我慢。
日曜だったんで、お店はお休みだったんだけど、エントランスが凛としてた。筋が通ってるって感じでした。

 

 

煙寺3 森.jpgそんでもって、牧谿です、水墨画。つまり墨の濃淡だけで表現してある、それしか無い訳。でもね、距離があるんですよ。つまり奥行き。

手前は、黒くハッキリと、遠くなるほど薄くぼんやり。濃淡による遠近法かな。

フェルメールの絵も遠近法は完璧です。絵をつぶさに観察すると、焦点の辺りに針で刺した穴が開いていて、そこから糸を引っ張って、遠近法を書き込んだみたい。油絵だからできるし、数学的な調和と、幾何学的匂いが漂うのは、多分その所為。
西洋絵画を見てると、そういう図面的な遠近法に慣れてしまうせいか、牧谿の絵で濃淡の遠近法に気付くのに時間が、かかってしまいました。

自然であること、つまり現実と同じである事。リアリズムと言ったりするけど、うーん。「リアリズム」って、言った途端に、そうでない何かが、ふっと忍び入ってしまう気もする。
あるが物を、あるがままに表現しようと言う意志かなあ。それが、濃淡にしろ図面的にしろ垣間見れる。そこに人は感動する。でも何故だろう。

普段見ている光景が、そのまんま表現されているだけで、感動したりもするし。テレビや映画で、「ああ、それってあるよねえ。」みたいな事で感動する。

でも何で?

普段見ているんだったら、そのまんまで良いやん。なんでそんな事に、いちいち感動したりするんだろう、とも思う。

「現実により近く、リアルに」って言うのが、やっぱり表現の大根本。どんな抽象絵画でも、実は、その点にだけは忠実だったりする。

 

『秋冬山水図』で、出っ張った巨大な崖の岩を宙に浮かんだように縦横のラインで表現した雪舟と、一連の絵画『コンポジション』の初期で、海や樹木の対象を黒い多数の線で表現したモンドリアンは同じ意志だと思う。
描かれたものは一瞬そうは見えなくても、見ているうちに、その対象に肉薄した作家の心が通じてくるのかなあ。その極め方の中に、現実、リアルを超えるような「何か」が現れた時に、それが人を感動させるのかもしれない。

ちなみに、フランス語"Quintessence(カンテサンス)"は地・水・火・風に続く5番目の要素らしい。素材に徹底的に拘って、あるがものをあるがまま出すのも、実は料理の基本だったりするだろうな。筋を通すってのも簡単なようで難しい。

雪舟、モンドリアンに関しては、『芸術新潮2002/03月号 逸脱の画聖・ほんとうの雪舟へ!』に詳しく載ってます。

モンドリアンの絵は↓に、

http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/M/Mondrian/Mondrian.htm

雪舟『秋冬山水図』は↓だよ。
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=B07&processId=02&colid=A1398