国に値するもの - 演劇ユニットG.com

国に値するもの

まあ、「茶入れ」ですか。
岡田

畠山記念館。茶入れ「油屋肩衝(あぶらやかたつき)」がありました。
牧谿の「煙寺晩鐘図」もあって、南宋時代の作品が二つ。ベラスケスも凄いとは思うけど。南宋が行き着いた境地って何なんだろう。

確かに、牧谿とフェルメールには通じるものがある。「画家の中の画家」ベラスケスは、やはり画家であって、ルノワールもそうだけど、イタリア経験が非常に重要だったように、画家の人生の中に人間としての成長が、かいま見られる。

対してフェルメール。一生、狭いオランダのデルフトから出る事のなったフェルメールが遥かに画家と言う範疇を超えた世界を、芸術として提示できたのはなんだったんだろう。フェルメールの絵の中には、愛らしさや、人間的な感覚に通じるものが皆無とはいわないが、確かに無い。しかし、そこには、遥かに深い世界としての、事物の確固たる存在が根ざしている。

宇宙は「ゆらぎ」から始まったと言うのが、現在の定説らしい。「1/fゆらぎ」とか言うけれどモーツァルトの音楽には頻繁に見られる音階。だとすればモーツァルトの音楽は、人間と言う小さな世界を離れて遠く宇宙の始原に遡るのかもしれない。
もちろん茶入れに「ゆらぎ」はないけれど、土と火によって表現されたあの文様には、儚い「生」を超えた、宇宙の始原に繋がるものがあるように思う。

戦国武将は、何故、その世界を感じられたか? それは「死」により近かったからだろうな。だから、より強烈に「生き」なければならなかったし、生きて、無限に生き続ける事が不可能だという事に、恐ろしいほどに直面した時。あの土と火の芸術の中に、宇宙の始原のような確固とした存在を見れたんだと思う。

こんなちっちゃい壷です。高さ8.4cm.

油や.jpg