見いだされた時、失われた時 - 演劇ユニットG.com

見いだされた時、失われた時

G.com主催、三浦剛のバンド、オケラ座のライブに行ったよ。みんな30代だったりして。今思うと30代前半って結構大変だった気がする。
もうすぐ43の岡田。

死がちらほらしてくる年齢の作家。紅茶にしたしたマドレーヌを口にした食感に、ふっと「喜び」を感じる。それは、まだ幼かった日に食べた記憶がもたらした物だった。
マルセル・プルーストの長大な小説『失われた時を求めて』の有名な一節。でもね、プルーストは決して過去が美しいなんて言わないんだよ。

でも、確かに過去は美しい。なんでだろう、それは過去を、過去として思いだすからじゃない。「思い出」と言うのは、やっぱり「思い」そして「出(い)だす」から、美しく変化するんじゃあないかな。

小説中、作家は「喜び」をもとめて思考し、それが「過去」に根ざしていることに気づく。けれど、その「過去」をどんなに考察したところで、そこに「喜び」は見いだされない。そこではっと気づくんだよね。要は、そこから「初めが」始まる。
「過去」と言うのは広大な大地のようなもので、そこから、時間と言うものを超越して伸びて行く巨大な樹木のような精神、その営みこそが真の「喜び」じゃないかってね。

過去を思う事は重要な事だと思うし、伝統やそういうものを伝えて行くのも必要だろう。でも「出だす」と言うのは「変化」でもある。日々に変化し、その変化をどうどうと引き受けて行くのは、もっと困難だし、もっともっと辛かったりする。
変化するって、奪われていく事だし、失っていく事だし、老いて死んでいくことでもある。悲しみに繋がる多くの要素に満ち満ちている。でも、変化はただの変化だし、その事を、その変化の中でどうどうと、変化を変化として、なんの精神的な起伏もなく直視できた時に、ふっと、そんな喜びも生まれるのかな。

春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり

鎌倉時代の禅僧、道元の「本来の面目」って歌だけど、まあ何てことないようでいて、なにかひっかかるんだよね。

マルセル・プルースト『失われた時を求めて』井上究一郎訳 ちくま文庫
マルセル・プルースト『失われた時を求めて』飯島道彦訳 集英社文庫
日本初の翻訳は井上訳。パワーはあるけど、飯島訳のほうが読みやすいかな。なんせ長い。