日常の雑事にかまけていると、 - 演劇ユニットG.com

日常の雑事にかまけていると、

     ......深い真実が隠されてしまう、  

なーんてね。久しぶりのワークショップ。こんな事も思ったよ。
岡田。

いやあ、偶然なんですけど、新訳がでてました。光文社古典新訳文庫『闇の奥』(ジョゼフ・コンラッド)。岩波文庫版(中野好夫訳)は、もうずーっと昔から出てて、大学の頃読んで、初めて10年前に脚色したのは「闇の奥」なんですね。でも、再読してみて、まだまだ出来ないなあ。あの本書くには、吾には力が足りない。舞台は深いし、そこまで達するのは大変だあー!

てなわけで、その中にこんなんがありました。

「表面的な日常の雑事にかまけていると、物事の本質が ― いいかい、本質がだよ ― 見えなくなってしまうんだ。深い真実が隠されてしまう。 ―まあ、隠されたほうが幸いだろうがね。」

吾は、役者じゃないし、まあ作家なわけで、公演で自分と向き合うって事は無い訳です。でも晃子さんのワークショップでは役者さんと一緒に自分と向き合う。

こわいよねえ。でも、その時、そのとき、なんだろうなあ。神が細部に宿るなんて事を言うつもりもないけど、やっぱり「世界」って、どこを切っても世界なんだ。だから、どこにでもあるし、どこででも発見できる。でも、世界って、そんなにみんなが望むものとは違うんだと思う。もっともっと恐ろしいし、怖いし、目を背けたくなるし。隠して隠して、でも、やっぱり対峙しなくっちゃいけない。それが、その対峙した瞬間が「本質」なのかなあ。

ハイナー・ミュラーが言ってた。
「真実の瞬間は、鏡の中に敵の像が現れるとき」

辛いし。お金にもならないし。苦しいし。生活設計もたたんし。でも、お金だけは出て行って。他に、もっともっと楽しいことあるだろうし、なんてね。まあ、ほんと「隠されたほうが幸いだろうがね。」
演劇か......

でも、最近の晃子さん、綺麗ですよ。


『闇の奥』ジョゼフ・コンラッド著 光文社古典新訳文庫
ハイナー・ミュラーの引用は、『闘いなき戦い』 及び 『カルテット ミュラーコンテンポラリー』所収『ヴォロコラムスク幹線路 5』(未来社)より。