2009年7月アーカイブ: 演劇ユニットG.com

S&G

今日は、僕が座長をつとめる、ド・フォークバンド「オケラ座」の面々と、東京ドームにいってきます。

 

そう、今日、明日と来日するサイモン&ガーファンクルのコンサートです。

16年ぶりの来日。

 

後日、どんなだったかブログに書きます。

 

そして明日、明後日は稽古。

稽古場日誌も更新しなくては・・・。

稽古場日誌 χαοζ(カオス) と κοσμοζ(コスモス)

いやあ、カオスが先だったんですわ。世の中って、つまりね「コスモス(宇宙)」は後なんですね。なにせ宇宙ってえのは「秩序」ってやつに支配された美しいやつでんがな。はい

 

と言う事で、岡田です。

 

まあ、今回も稽古がはじまりまして。三浦も書いてますが、吉野さん。凄いです。早いです。サァーって「宇宙」設計しちゃいました。みんな宇宙の秩序に、イヤ、まだだな。ほんまもんの宇宙は、これからでしょうからな。まあだ、カオスん中です。

 

稽古場という根源の混沌に「秩序」を何とか場見って、立ち上がっていく役者さんたちは、2400年前と同じなんやろうなあ、なんてな事を考えつつ、稽古場に行ってやす。

 

立体化、立ち上がる事、二本足で立つ事。単純でかつ、もっとも困難な事です。

 

今回は19人。役者さんは、実は「人間」だけの存在とちがいましてな。半分は神さんです。まあ、半神ですなあ。なんせ、Theater(劇場)は、ギリシャ語でθεατρον(テアトロン)つまりθεοζ(テオース、神)の居る場所でっさかいな。

 

まあ、人間が舞台にのるか、神々が現れるかは、それこそ、これからの鍛錬しだいでんがな。がんばりましょうかあ。

ストレーレル演出『二人の主人を一度に持つと』

 単純なものこそが、真に豊かな美しさに到達できる。んだろうなあ。そんな舞台でした。

 

岡田です。

 

作は、18世紀のゴルドーニ。コメディア・デラァルテと呼ばれる、イタリアの仮面劇。1947年に、ストレーレルが再発掘し上演したもの。1997年に演出のストレーレル自身は亡くなってます。

 

最初に見たのは、1999年の2回目の来日公演だったんで、実は二回目。ちなみに招聘した野村萬斎さんは、30年前の初来日も見ているみたいです。

主演、アルレッキーノ役は、フェルッチョ・ソレーリ。79歳でした。公演後、カーテンコールの前に舞台上で仮面(皮で作ったものらしい。)を脱ぐんですけど、脱いだ途端に普通のイタリアの小父さんに成ってました。歩き方が違う。不思議ですねェ。役者さんて。

 

舞台上は一段高くなっていて、そこが本当の舞台という設定。周りに椅子が数脚。そこに出捌けの役者が待っていたりって言う。今ではよく見る二重構造の舞台。

板張りの本舞台上は、奥に柱が二本、横棒に何枚かのカーテン。背景の絵が書き割りになっているという、非常に簡素。

で、そのカーテンちょいと短い。上手に一杯に引くと下手が、逆に引くと逆が、微妙に開くんですよね。

 

話は変わりますが。前回の『金の卵1960』、楽日のエピローグ。アクシデントがあり、舞台装置が壊れました。でも、その時のお客さんの笑いは本物でした。もちろん再現は無理です。でも、あのリアルな笑いを突き詰めて行くと、あの短いカーテンに行く着くのかなとも思います。

 

リアルだとか、現実っぽいとか言いますが。お客さんは賢い。だれも、舞台に現実なんて見てないし。芝居を、つまりは「嘘っこ」を見てるわけです。でも、真剣にその「嘘っこ」を極めて行くと、現実より美しい「真実」が、ふっと立ち現れる瞬間がある。故に、役者もスタッフも真剣に「嘘っこ」をするわけです。では、もっと「嘘っこ」を計算していくとどうなるか。

舞台上に、「これはお芝居ですよ。」、「嘘ですよー。」って言う何かが欲しくなる。

 

短いカーテンは、役者に上手に下手に引っ張られ。舞台裏を隠そうとする。しかし、ワザとそれを演出することによって、不思議な何かが現れる。そう言う事なんではないかしら。

 

たとえば、日本の文楽でも、名人の人形遣いが人形を操る場面では、顔を隠さない。どうどうと、これは人形芝居ですと誇示してみせる。

『曽根崎心中』のお初、徳兵衛の道行にしても、なぜ文楽が美しいのかは、計算されつくした「嘘」を堂々と行う洗練さにあるんだと思う。

それでいて、そう言う表現って、単純で簡素です。ねえ。

 

追伸

イタリア仮面劇に関しては、ジャン・ルノワール監督『黄金の馬車』で、コメディア・デラルテの仮面劇を扱ってるんで興味のある方はどうぞ。ちなみに監督は、あの画家のルノワールの子供です。ちょこっとあらすじ書いておきます。

『黄金の馬車』あらすじ

18世紀の南米スペイン植民地を舞台に、イタリアからやってきた仮面劇の一座を軸に展開する恋のさやあてと宮廷の陰謀劇を、舞台と現実をないまぜにして描く人間喜劇。

アメリカ式合理主義

友田です。

ベトナム戦争時のアメリカの国防長官であったロバート・マクナマラが死にました。G.comの世界とは何の関係もないような人ですが、次回作「金の卵 1970」はベトナム戦争が時代背景にあるのでちょっとお話を・・・。(もっともマクナマラ氏が国防長官だったのは1968年までなのですが)

 

この人、「アメリカにはこういう人がいるんですよね」という、超パワー・エリートです。ハーバード・ビジネス・スクールで経営分析を学び、大手会計事務所に勤めていましたが、太平洋戦争中に陸軍に加わり、その分析手法を戦略爆撃の立案に応用します。日本の都市を襲ったB-29の大編隊。あれは、ちゃんと費用対効果を計算して綿密に計画が立てられていました。それをやっていたのが彼。戦後はフォードに加わり、経営を建て直して1960年には社長に就任します。その直後、発足したばかりのケネディ政権に乞われ、国防長官に。

 

要するに、超頭いいので、何やらせても出来てしまう。それも実務家で、すごく現実的です。理想に頭を悩ませたりしない。自分が世界を回していると思っていて、実際にいろんなことを仕切っている。ただ、そのドライさは、手段を選ばないことにもつながる。要は、結果を出せればいいのです。

 

例えば核兵器についても、必要なら先制攻撃も辞さないし、攻撃されたら確実に報復できるような体制を作ろうとする。ベトナム戦争については共産側による侵略であると信じ、勝利のために特殊部隊を駆使した様々な秘密作戦にも手を染めました。増派に次ぐ増派。やがてこの合理的人間も、戦争への疑いに心をさいなまれていくことになったようですが、その時は既に何百万人という死者の山が築かれていました。

 

晩年にドキュメンタリー番組に出演、ベトナム戦争に対する反省を率直に述べました。北ベトナム軍を率いていたボー・グエン・ザップ将軍とも会談、恩讐を超えて語り合ったりもしています。その勇気と行動力はさすが。ただ、その語り口は最後まで「やり方を間違えた」というもの。合理的人間の魂百までの感がありました。

稽古場日誌①

7/1からはじまった稽古も、はや3回目。

稽古場日誌なるものを、コンテンツに追加しようという話だったのですが・・・。

やはり筆無精のわたくし、三浦剛です。

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