2009年6月アーカイブ: 演劇ユニットG.com

ル・コルビュジェ

落ちちゃいました。世界遺産。そういうのも「まっ、良いか。」って事で岡田です。

 

東京のお気に入りの場所って、ああた。それが国立西洋美術館二階、中庭に面した休憩場所だったんですよ。なにせ、設計がフランスのル・コルビュジェさんですよ。ねえ。まあでもねえ、特別展に行ったって駄目ですよ。

あのいきなり地下に行く方ね。あれはあんた、たんなる日本建築ですよ。でもね、そうそう常設のほうです、常設のねええ。それがずーーーーと工事してて、やっと完成ですわなあ。まあ、世界遺産には落ちたみたいですが。

 

まあ、コルビュジェと言わず、御茶ノ水のアテネ・フランセ文化センターとか、市ヶ谷の東京日仏学院L'INSTITUTEって、やっぱ違うんですなあ。窓の配置、光の取り入れ方、階段の手すり。それと「色」。

 

湯川秀樹だったかなあ? 朝永振一郎だったか? まあ有名な日本の物理学者がね、言ってたんですけんど、「人間は直線と垂直、自然は曲線で世界をつくる。」とかね。でもそう、ちょっと身の回りを見たってね、自然の中に直線なんてえのは非常に困難だし、垂直に到ってはねえ。

でも、そこで建築するわけで。人間はねえ。おそらく、人間が作った中ではもっとも完璧に近いような伝達記号の「数学」ちゅうもんを基礎におくとそうなるんでしょうが。でもねえ、あんたやっぱり無味乾燥と言うかねえ。

 

「モデュロール」ってねえ。フランスの建築家ル・コルビュジェさんが、考え出した基準なんですがね。要は、手を上に上げた、その高さですねえ。まあヨーロッパ人が基準なんで、226cmとか言われてますけんど、それを元にした訳ですよ。

まあ、もちろん、垂直も直線もあるんですよ。でもねえ、そりゃあやっぱり。理念としてそういうものをおくと何かと感じが違ってくるわけでねえ。「う~んやっぱ、きもちええなあ」って事にもなるんですがねえ。

まあ、そんな事も考えると、世界遺産になんぞならん方が、人間ぽくっていいのやもしれまへんなあ。

 

まあ、興味の有る方は、大成建設に「ル・コルビュジェ・アーカイブ」があるんで↓まで。

http://www.taisei.co.jp/galerie/archive.html

 

あと、西洋近代美術館でも、8・30まで、ちょっとした事やってるんで、↓まで。

http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

 

 

 

 

 

 

書くって...なにかしら?

文芸部が日誌が面白い...。

って、主宰の僕が言ってもはじまらないんですが。

筆無精の劇作家、三浦です。


文芸部の友田さんが書いたマイケルの話や、岡田さんが書いた茶入れの話
正直、僕はあんな文章書けません。G.comの文芸部は「書くこと」「世界を観る」「意見する」ことにかけては僕より俄然すぐれてます。

ということで、「書くこと」についてちょっと自分の過去を振り返ってみようと思います。
少し長いですが、、、よかったどうぞ。

(書き終わってみたら少し冗長な文章になってしまった)

これを機に、自分の過去の作品をちょろっと解説していこうかなぁ。


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マイケル・ジャクソン

友田です。

マイケル・ジャクソンが死にましたね。私が中高生だった八〇年代は洋楽の時代で、アメリカのチャートのカウントダウンが夕方のテレビ番組として成立していた。マイケルはその代表的なスターでした。私はそれほど洋楽にはまっていたとは言えないが、それでも何枚かレコードは持っていた。

 

ともかく非凡な歌手で、今でもファーストフードなどで彼の声変わり前の歌声が流れていますね。「ABC」や「帰ってほしいの」など。まさに天使のような澄んだ声、完璧な音程と歌い回しで、「こんな美しい歌声が現実に存在するならば、世の中も捨てたもんじゃない」といった思いさえ抱かせます。

 

そんな、まるで魔法の杖さながらの才能を持った少年が、やがて大人になり、歌とダンスで世界を沸かせ・・・。しかしやがて自分の城に閉じこもり、少年たちと毎夜の饗宴。あげく顔は白く、醜く崩れていく・・・。一編の寓話のような人生を駆け抜けていったマイケル・ジャクソン。彼をそうさせたものは何だったのか。

 

もともとエキセントリックな人だったと思うけど、一方で、先頭に立つものの辛さを思います。マイケルが世に出た当時、黒人音楽を一般の白人が聞くという習慣はほとんどありませんでした。 いや、もちろん聞いていた人はいたが、インテリとか、自分が音楽をしている人。あとは突っ張った若者とか・・・。要するに普通の白人大衆は聞かなかった。だから、黒人ミュージシャンはどんなに大物でも地方に行くとホテルに泊まれないという現実がありました。ホテルのフロントとかドアマンをしている白人のあんちゃんやオジサンにしてみると「お前が有名ミュージシャン?ざけんなクロンボのくせに。顔洗って出直して来い」。そんな時代。

 

それを塗り替えたのがマイケルだった。マイケルが歌い踊る姿をミュージック・ビデオで見た白人たちは人生で初めて「黒人にもかっこいいやつがいる、黒人音楽ってかっこいいのかも」と思い始める。それまでも、白人ミュージシャンが咀嚼した黒人音楽を「かっこいい」と思って聞いていた白人大衆が、はじめて「黒い顔」も含めて「ありかも」と思った。これは本当に歴史的に初めてのこと。

 

だけど、黒い顔を持って白人大衆の中を先頭切って走っていたマイケルはどうだったのか。そのころ、リッチでハッピーな黒人なんて、あの国にはほとんど一人もいなかったのだ。自分がそうなることができるのか?音楽やダンスにおけるほど、彼には、日常生活における創造性や器用さがなかった。白人のようになる以外に、リッチでハッピーになるモデルを見つけられなかった。欧州の童話をアメリカ式に翻案したディズニーの世界やピーターパンに憧れる。彼の妄想世界に黒人の居場所はない。当時のディズニーの世界の主役は白人か動物。動物になる気がなかったら?答えは明らかじゃないか。

 

こうして彼の鼻やあごは細く、肌は白くなり始める。自分が白人になれるネバーランド(どこにもない国)を目指す彷徨がはじまる。

 

2008年、アメリカの白人大衆は「黒い顔の大統領もあり」という判断を下した。それは、25年前に彼らが「黒い顔のスターもあり」と認めたことの、一つの帰結だ。線は一本につながっている。マイケルなくしてオバマはなかった。大げさでも何でもない。

 

その時、多額の借金を抱え、裁判で名誉も失い、整形のしすぎで崩れる白い顔を鏡で見て、マイケルは何を思ったのだろうか。

 

半年後、彼は永遠に舞台を去った。

短編 フランス文学だよーん。

やっぱ今一なんですラテン語圏。イタリアもスペインも、文学的には。

 

なーんて、お前そんな読んでんのかよって。まあそこら辺は、好い加減に、イイカゲンな岡田でーす。

 

巨大な古典はあるんですよ。ダンテ『新曲』とかセルバンテス『ドン・キホーテ』とかね。でもやっぱ近代的な繊細さって、ラテン語中心だと生まれにくいのかなあ。鳥が鳴いてるみたいな言葉だしねえ。ゴダールの『ヌーヴェルバーグ』で、正直になれないからイタリア語で話すとかってシーンがあったけど、正直すぎると物語りにならんのどすやろーなあ。

 

て事で、やっぱ中途半端で偉そうで、でもちょっとラテン語なフランスでしょう。

 

● マルセル・プルースト『楽しみと日々』福武文庫

おなじみ『失われた時をもとめて』の作家の、若い頃の本です。ちなみに、題名がヘシオドス『仕事と日々』のもじり。分かったあんたは、エラーい。

う~ん。プルーストの面白さって何だろう? 金持ちの、喘息もち、ユダヤ人で、同性愛者。やっぱ、視点の客観性? 「喘息」って、本当に辛いらしいからなあ。でも、逆に「生きている」って美しさが見えたのかも知れんなあ。

 

● ジェラール・ド・ネルヴァル『火の娘』新潮文庫(『火の娘たち』ちくま文庫 もあるみたい)

プルーストも影響を受けた幻想文学者。ふかーいです。森の奥って感じ。なんだかグニャグニャしてて、ああ、でもほんとうは「精神」ってこんな感じなんやと思いやーす。ちなみに遺稿『オーレリヤ』(思潮社)は、もっともっと深海かなあ。カオスって言うかヘーゲルって言うか、まあ、こういう奥底から「世界」は生まれるんだしょうなあ。

 

● ギュスターブ・フローベール『三つの物語』(中央公論の文学全集で読んだんだけど、福武文庫からでているらしい。)

『ボヴァリー夫人』で有名なフローベールです。なんだろう? 一切の感情が含まれない筆致と言うのは読んでいてスンゴイなー。ゴダールが、「描いただけで芸術になる画家のフェルメール、作家のフローベール」と言っていたが、そういう感じ。ちなみに長編では、『ボヴァリー夫人』よりも『感情教育』よりも、ちょっとマイナーな『サランボー』(角川文庫)が好き。

 

追伸 絶版が多いですけど、アマゾンの古本とかでは手に入るみたいです。

宇宙 1

 

宇宙です。大きいです。バカでっかいです。広いです。

ええ? でもなんでー? そうです。そうなんですよ。宇宙がデカイなんて、広いなんて。正直、本音......知らねえよ! 何て言う岡田どえーす。

 

でもだったらなんで「宇宙」もしくは、それに付随する「何か」は有るんでしょうか。

ええ......?。でもそれって、多分......。

そうそう、そうなんですよ「印象」、印象。もっと言えば「ちょっかん」、直観、直感。直に感じた何かなんですよねえ。そんでもって、それが、「言葉」という不完全な伝達物質を通過するうちに......いろいろと尾鰭がついて、まあなんですか、いかにもの「嘘」と「真実」っぽい物になんるんですなあ。まあ、俗に言う「抽象」ですか。そんな作用です。

 

ちなみに「宇宙」感じちゃいました。

 

「一生懸命」ええ? 「一所懸命」ですよ。

そうです、そうそう、そうなんですよ。「一所懸命」が正しいんです。だって、「一所」つんまり「土地」です。大事だったんです。鎌倉・室町・戦国時代にはね。だから「土地」=「国」の為に懸命になったんです。

そうなんですよ。そうだったんです。でもバカでしょう。戦国の奴等。有名でしょ。信長、秀吉、京極、浅井、六角......etc  でもねえ。あいつら馬鹿ですよ。だって、それこそ利休みたいな奴にたぶらかされたにしてもですよ。「国」。つまり領地、「土地」=食料=米のもととなる「国」をですよ。たかが、10㎝に満たない小さな焼き物と同等にしやがりやがったんです。ちっちゃな壷=「国」でっせ。

 

そうなんです。「茶入」です。ここまで来て「茶入」と直感した、あんたは偉い。いやあ、ちょっと前のブログでも書きましたが三井記念美術館。勿論「卯花墻」、見に行ったんですよ。

 

でもお。「重要文化財 大名物(おおめいぶつ) 唐物肩衝茶入 北野肩衝 南宋時代 北三井家旧蔵」なーんて書くと如何にも仰々しいんですけんど。要は10㎝に満たない、南宋の時代に中国で焼かれた小さな焼き物です。ちなみに「茶入れ」として日本で使ったので「茶入」と呼ばれているだけ。本来は、名も無い、でも本当の芸術家が、恐らく命を懸けて作った作品。

何ででしょうねえ......。目が行っちゃうんですよ。そんでもって、どうしようかなあーなんて。ねえ。書こう書こうと思っても、やっぱ書けないんです。表現できないんでね。そんでもって、ちょっと時間を頂いたんですが。そうそうそうなんですよ「宇宙」なのかなあ......ひるんじゃいました。

 

ちなみに、四年まえに、青山の根津美術館で、大々的な「茶入」の展覧会があったんです。どうせつまんないんだろうなあ何て、思いつつ行ったんですが。えーーー! っ感じで、感じちゃいました。そんときにも会ってました「北野肩衝」。

 

あっ! 声が聞えた。つづきはまたと言う事で。

 

興味が有る方は、↓をどうぞ。って前と同じ三井美術館ですけど。

http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_01.html

 

 

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